WBCナマ観戦で感じた侍ジャパン応援団の課題《若手記者・スタンフォード留学記 30》
バラバラな日本応援団
さて、この試合を通じて、痛感させられたのが、日韓応援団の団結力の差です。試合内容でも完敗でしたが、応援力でも完敗でした。
日本の応援は悲しくなるくらい、バラバラ。それに対し、韓国の応援は一致団結して、スタジアムが揺れるほどの度迫力。恒例の「テーハミング(大韓民国という意味)」に加え、「オー、ミスター・コリア」という掛け声が耳にこびりついて、離れませんでした。
もちろん、無理からぬ事情もあります。
韓国の応援団は、アメリカ現地に住む韓国人コミュニティが基盤となっているのに対し、日本側は日本からやってきた観光客の寄せ集め状態。普段から気心の知れた人間が多い方が、団結しやすいのは当然です。
しかも、試合当日は平日でしたので、日本の応援団がアメリカまで出向くのは難しかったでしょうし、そもそも、WBCのわけのわからない対戦方式のせいで、どの日付にどの試合が行われるか直前までわからなかった、という事情もあります。
ただ、こうしたハンデを差し引いても、日本の応援は心もとなかった。
イチローや城島選手が打席に入ると応援のトーンも上がるのですが、ほかの選手の場合、応援の声がか細くなってしまうのです。ちらほら「ニッポン、チャチャチャ」の掛け声が聞こえる程度です。知名度が低いせいか、片岡選手のときなどは、声援はほぼ皆無でした。
わたしも友人と、ガラにもなく、声がかれるほどに、声を張り上げましたが、やはり数人では限界があります。
「だけど、勝負を決めるのは選手のクオリティで、応援なんて二の次でしょ」という反論もあろうかと思います。私も昔は、応援なんて、大して試合に影響しないと思っていたのですが、それはどうも違う。とくに、試合会場のペトコパークはグラウンドと客席が近いので、観客の声がもろに選手の耳に入っていたはずです。
片岡選手の立場になってみましょう。右打席に立つと、右側のスタンドは韓国ファン一色で、テーハミングを連呼。一方、自分が背にする左側のスタンドは沈黙。こんな心細いシチュエーションはありません。片岡選手がこの日、3打数0安打に終わったのも、単なる偶然ではない気がします。
ときには、バカになることが必要
日韓双方のファンの数にそんなに差はなかったようなのに、なぜこんな応援力に差が生まれたのでしょうか? この問題は、現代日本が抱える課題を考える良い思考実験になる気がします。
応援力の差は、「個々の思い・行動を大きなうねりに転換するメカニズムの欠落」ではないでしょうか。言い換えると、1+1を、2以上にする仕組みです。
たとえば、塩野七生さんは『文藝春秋』などで、日本という国には、各分野に、優秀かつ真面目なプレーヤーがたくさんいるのに、どうも個々人の頑張りが国全体の力につながっていないのではないか、という意味のことをおっしゃっています。