日韓最終合意の裏で米政府が進めてきたこと 米国は日韓の和解へ向け努力を重ねてきた

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元ビジネスマンの韓国・李明博元大統領も関係改善には熱心だった。ところが、2011年8月に、韓国憲法裁判所は韓国政府が従軍慰安婦らの賠償請求問題解決に向けた具体的な努力を行わないのは「違憲」であると判決。これを受けて、日韓両国の外務官僚たちは、元慰安婦への賠償が公的基金ではなく、個人的寄付によって賄われていることで批判が絶えなかった「アジア女性基金」の代わりになる賠償方法を考える議論を開始した。

この間、日韓の外務官僚らは日本の首相による犠牲者への謝罪文や、公的な賠償金という位置付けのものがないにしても、公的予算から人道的支払いを行うなど新たな合意に向けて議論を行っていた(日本は韓国側の求めに対してはすべてサンフランシスコ講和条約や、1965年の国交正常化時点で解決していると主張しており、今後もそう主張し続けるだろう)。

こうした中、2011年9月には日本でより保守的な思想を持つ野田佳彦氏が菅氏を継いで首相に就任した。父親が自衛官だった野田氏は、安倍首相と同様に日本右翼保守派の歴史修正主義を個人的に共有し、靖国神社の参拝を支持し、女性に性的奉仕を強制させた帝国陸軍の公的役割を認める河野談話に反対した。

慰安婦像に野田首相が激怒

その野田氏と韓国の李氏が京都で首脳会談を行ったのは同年12月18日のこと。その一週間前には、韓国の活動家がソウルの日本大使館の向かいに「従軍慰安婦像」を建てて物議を醸していた。

この会談で何が行ったのかに関しては、2つの異なる「報告」がある。日本版は、野田氏は経済と安全保障問題を議論する準備をしていたが、李氏が従軍慰安婦問題を解決しようと求めてきたことに驚かされた、というものだ。

一方、その会談に参加していたというある韓国政府高官によると、両国の外務省間でまとめられた基本文書に野田氏がサインすると韓国側は期待していたが、野田氏が最初の夕食で怒りながら、像の撤去を求め、新たな謝罪は必要ないと言い放ったことに対して李氏が非常に驚いたという。結局、この論争は翌日話し合いにまでもつれ込んだそうだ。

再交渉は翌春に持ち越された。このとき、当時の佐々江賢一郎外務事務次官は、日本の首相による直接謝罪や、元慰安婦たちに対する謝罪の手紙、日本政府予算による賠償・補償などは行うが、公的責任は認めないとする案を提示。しかし、両国間にはすでに埋めがたい溝ができており、両国の首脳が再びトップ会談を果たすまでに4年近くの時が流れた。

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