一方のゴルゴ松本さん、「親切」に関して、著書の中には以下のように説明している箇所がありました。
「『切』という漢字には『磨く』という意味もあります。ダイヤモンドを磨くとき、切って(カットして)いく。だから、切るは磨くなんです。大事なものを磨く、磨くように大切にする。『親を切る』と書いて『親切』。親を刃物で切りつけるんじゃありません。自分の親のように親しみをもって他人を大切にすることなんです」
上記の例は、単に知識として知っているにすぎないことかもしれませんが、「切磋琢磨」「大切」といった表現を日常的に使っているかどうかで、感覚的にも解釈の幅が変わってくるものでしょう。漢字に限らず、物事の解釈には生まれ育った環境・文化圏などが大きく影響します。そして、解釈論の違いが争いの種になることも、少なくありません。
すべての「べき論」は、本人にとっての正解
たとえば厚切りジェイソンさんは、テレビ番組などで「大皿に唐揚げが一つ残ったら、日本人は食べないよね? でも僕は食べるよ」といった「Why」を挙げ、「日本人は他人の目を気にしすぎる」「意思決定にものすごく時間がかかる」といった課題を提起しています。
ただ一方で、唐揚げを残す日本人にしてみれば、それは「謙譲の美徳」と感じられることかもしれません。ゴルゴ松本さんの本には、「日本人のスミマセンは、アリガトウと同じ。そこには、感謝と謝罪が一体となった日本人の心が一体となっているんです」と書かれています。
ジェイソンさんの考え、ゴルゴさんの考え、それぞれに意義があり、どちらも決して全否定されるべきものではありません。けれども、たとえば同じ会社内、チーム内に2つの「解釈」が混在するとき、それぞれの考えを否定し合ってばかりいては、生産性に悪影響を及ぼしかねません。
これまで何度も書いていますが、アンガーマネジメントでは、怒りの原因は私たちの持つ「べき論」が目の前で裏切られることである、と説明しています。誤解なきよう補足しておきますが、べき論を持つこと自体が悪いのではありません。べき論はその人の「信念」とも言え、その信念は目標を成し遂げるエンジンになるからです。
反面、信念は「期待値」でもありますから、目の前で起きた出来事と期待値との差が大きければ大きいほど、怒りとなって表れやすいわけです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら