中国は、南沙紛争で軍事衝突の道を選べない 同床異夢の状況に日本はどう応じるべきか

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アメリカが望むのは、現状維持であり、誰も波風立てずに南沙問題が忘れ去られることだ。

中国の軍事的封じ込めが不可能な以上、日本が取るべき道はただひとつ、「Engagement」(関与政策)である。

尖閣問題以降、われわれは中国から絶えず不快なチャレンジを受けている。中国はここ数年、日本の孤立化の演出に躍起になっている。米韓関係が冷え込んでいる現状では、中国は米日関係の悪化を望んでいる。「太平洋におけるアメリカの盾となり、たった一国で中国と対峙することが日本の国益なのか」と、日本に対して指摘をし続けるだろう。南シナ海を巡って日本がイニシアチブを取ろうとすれば、「誰も付いて来ないぞ」と高飛車な姿勢で脅してくるに違いない。

アメリカも、南シナ海を巡って日本の行動を切望するかたわら、「中韓と仲良くしろ」と真逆なことを言ってくる。尖閣問題を巡っても、一貫して冷ややかな態度を取り続けた。しかし国家というのは、どこでもそういう身勝手なものだ。

粘り強い関与政策が必要

中国は今後とも歴史問題を絶えず持ち出し、日本の国際的地位を辱めようとするだろう。しかし、軍事的対抗がほぼ不可能であり、同盟の盟主たるアメリカにその気力も体力もない今、われわれに出来ることは、関与政策で、中国の外交政策を変えさせることしかない。われわれはその不快な挑発や恫喝に耐えて、関与政策を展開するしかないのだ。

これは、封じ込めが原則だった冷戦時代とは全く別のアプローチになる。20世紀の大量破壊の時代、世界は、武力の誇示で他国の尊敬は得られないことを教訓として得た。だが、遅れて来た帝国主義勢力である中国にその苦い経験と記憶は無い。われわれは、その中国に対して、軍事に頼らない他の、平和的な手段で他国の尊敬を得た方が、外交も経済も上手く回る、結果として国家の安全保障を高めることも可能であることをひたすら辛抱強く、粘り強く訴えるしかない。

外交は地味で、その成果は、スポーツのようにはっきりと勝ち負けがつくものでもない。軍艦や戦闘機で威圧するように格好良くも無い。

忍耐を求められる茨の道になるだろうが、希望はある。20世紀の冷戦は、共産主義と民主主義という、教義を巡る闘争だった。そこに妥協の余地はなく、ソヴィエト連邦は、人民が餓えても戦い抜こうと頑張った。しかし、中国にとって、今やそのドグマは、お飾りでしかなくなりつつある。

彼らは資本主義にどっぷりと浸かり、経済的な破綻に怯えている。隣人との協調、そして平和こそが懐を豊にする基盤であることを彼らが受け入れるなら、渋々ながらも、日本からのメッセージに耳を傾けてくれる日が来るだろう。しかし、それは明日、あさってではない。日本の外交は、2016年以降もしばらく忍耐が必要だ。

大石 英司 軍事サスペンス作家

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おおいし えいじ / Eiji Oishi

1961年生まれ。鹿児島県出身。経済紙のライターを経て1986年「B-1爆撃機を追え」で作家デビュー。主に軍事問題をテーマに取材、著作活動を行う。代表作に「神はサイコロを振らない」「尖閣喪失」。

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