プロ野球「戦力外」から這い上がった男の心魂 このメンタリティは一般社会にも深く通じる
今から10年前。八木は野球人生で最もスポットライトを浴びていた。大学選手権の最多奪三振記録という実績を引っ提げ、アマチュア・ナンバーワン左腕の呼び声とともに、2005年に希望入団枠で、北海道日本ハムファイターズに入団。契約金は1億円、年俸1500万円と最高評価を受けてプロ野球選手になった。
2年目で左肩を痛めて戦線離脱
八木は1年目でチーム最多の12勝といきなり大活躍を果たす。20歳でブレイクしたダルビッシュ有とともに、投手陣のタブルエースとして、北海道に日本ハムが44 年ぶりに日本一となる立役者として貢献した。年俸は一気に5000万円へアップ。ところが2年目、いきなりプロ野球人生が暗転する。左肩を傷めて戦線離脱を余儀なくされたのだ。
「肩をケガしてから、何もかも思うようにいかなくなってしまって。今日投げたフォームで明日投げられないとか、本当に1日1日で全部が変わってしまって。もう野球をやるのも苦しかった…」
2009年に9勝を挙げて復調の兆しを見せたが、自信が追い求めるフォームからはほど遠く、その後のシーズンはずっと五里霧中にいた。プロ8年目の2013年、シーズン開幕前にオリックスにトレードされたが、新天地でも2年間で1軍登板わずか6試合とまったく結果を残せず。そして、ついにその時は訪れた。かつて球界を代表する左腕になると嘱望された男が、プロ9年目でクビを告げられた。31歳での戦力外通告だった。
スポーツジャーナリズムの世界にいると、職業柄、戦力外通告を受けた選手の取材をする機会も多い。その中で、どん底から這い上がって再び表舞台に立てるごく一部の男たちには、ある共通するメンタリティがあると感じる。八木にインタビューすると、彼にもその気質が明らかにあった。それは次の言葉に強く滲み出ていた。
「ここで終わる、っていう感覚は自分の中でまったくなかったです。クビになってトライアウト受けるまでに、マイナス思考になって悩んでも、答えは出ないしらちが明かない。その時間がもったいないので考える必要もないなかって。今まで通り準備をしっかりやって、結果をしっかり残すことしか頭になかったですね」