ベンツはなぜここまで日本で強くなったのか 15年ぶり輸入車首位奪還の意味を読み解く

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「190E」の投入がメルセデス・ベンツの転機になった

現在の売れ線であるDセグメントにメルセデスが初めて進出したのは1984年の「190E」である。日本価格は535万円と、ここでようやく誰もが夢見られる程度の庶民化を果たし、販売台数は徐々に拡大していったものの、ライバルも攻撃の手を緩めなかった。

そして1990年代には、さまざまな自動車メーカーが合従連衡で生産規模を拡大することによる生き残りを図った。

高級ブランドの庶民化が浸透

メルセデスは米国の第3位メーカー・クライスラーと組んだが、得意分野があまりにも異なるためシナジー効果が発揮できないまま、やがて別離。その間にアウディは「A3」を、BMWは「1シリーズ」を発売するなど高級ブランドの庶民化が浸透していった。

この頃、メルセデスは電気自動車としての利用を前提に開発した2階建てプラットフォームの初代「Aクラス」を1997年に導入。しかし重心が高いことによる転倒の危険性が問題になるなどして、市場からはまったく受け入れられなかった。独自プラットフォームのAクラスは開発コストも高く、容易に新型に切り替えることはできなかったため新型車の投入は遅れた。

ようやく全面刷新した3代目Aクラスが登場するのは2012年のこと。ゴードン・ワグナー主導による表情豊かなデザインを身にまとい、構造的には普通のFF車ながら市場の受けはよく、かつCLAクラスや同シューティングブレークといった、新しい車種へのチャレンジも成功した。

Aクラスの車両本体価格は最安296万円、CLAクラスは同351万円からとなっている。かつて高嶺の花だったメルセデスが、ちょっと稼ぎのあるサラリーマンなら手の届く価格に「降臨」。さらに、たとえばCLAクラスがメルセデスの中でも上級に位置するCLSクラスを思わせるように、廉価モデルでもイバリが利くデザインを採用したことが奏功し、一気にベンツ人気に火がついた。

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