韓国・金泳三元大統領が死去、その功罪とは? 反軍部独裁・民主化運動に献身

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企業経営やグローバル金融制度など、急変する時代的変化を見極めきれなかった時代に、その目配せが十分でなかったのが惜しまれる。世界化を叫び、規制緩和という美名を掲げる一方で、金融機関の監督や国家の外貨管理を疎かにした。大統領だけでなく、企業など民間も外形の成長重視ばかり頭にあり、健全性という概念が頭になかった。また「大馬不死」、すなわち企業も組織も大きすぎれば逆につぶれないという意識も根強かった。

「金泳三政権には経済もショーマンシップの対象となり、政治的なパフォーマンスの効果が優先だった」と高麗大学名誉教授で労働相を務めた金浩鎮氏は自著『韓国歴代大統領とリーダーシップ』で述べている。そのため、思う通りに行かない経済政策よりは、民主化の深化・軍部の政治からの一掃という得意の政治力が生かせる問題にばかりに成果が偏ってしまった。その成果は部分最適ではあったが、大韓民国という国家全体からすれば、バランスを欠いたものになった。

バランスを欠いた国家運営

韓国経済がIMFの管理体制に入った直後の1997年12月、金泳三氏は国民に向けて謝罪を表明した。「私は、不渡りを出した企業家と職場を失った家長が感じる絶望感を思いながら、毎日自分自身に鞭を打っています。国民の皆様の痛みはすなわち私の痛みです」。この時の韓国の外貨保有高は、政権発足時の約500億ドルからわずか39億ドルとなっていた。

同月の大統領選挙では、最大野党の党首で長年のライバルである金大中氏が当選、初の政権交代が実現した。「国家の金庫が空っぽ」の状態からIMFとの経済運営を迫られた金大中氏の経済政策は、強力な構造改革を各方面に強いた。そのため、IMFからの借入金は2001年に完済していち早くIMF体制から抜け出すなど危機状態からの脱出は果たせた。

しかし、その新自由主義的な改革は韓国経済に新たなひずみをもたらし、所得格差の拡大や家計負債の増大、若年層の失業など特に国民に生じた。20年近く経った今、この時のひずみは現在でも韓国経済・社会を苦しめている。

福田 恵介 東洋経済 解説部コラムニスト

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ふくだ けいすけ / Keisuke Fukuda

1968年長崎県生まれ。神戸市外国語大学外国語学部ロシア学科卒。毎日新聞記者を経て、1992年東洋経済新報社入社。1999年から1年間、韓国・延世大学留学。著書に『図解 金正日と北朝鮮問題』(東洋経済新報社)、訳書に『金正恩の「決断」を読み解く』(彩流社)、『朝鮮半島のいちばん長い日』『サムスン電子』『サムスンCEO』『李健煕(イ・ゴンヒ)―サムスンの孤独な帝王』『アン・チョルス 経営の原則』(すべて、東洋経済新報社)など。

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