「成功しなければ命はない」豊臣秀長の"言葉力"が強調された《墨俣城伝説》とは?

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さらに『武功夜話』では、秀吉がこのプロジェクトに成功した背景に、弟・秀長の活躍があったとしている。

墨俣に城を築くには、尾張と美濃の国境を流れる木曽川沿いに勢力を持つ国衆「川並衆」の協力が必要となる。

「なんとか力を貸してもらえないだろうか」

秀吉は事情を説明しながら、川並衆を率いる蜂須賀小六をそんなふうに説得した。

だが、小六の屋敷にどれだけ足しげく通っても、なかなか色よい返事はもらえない。敵地で身をさらして城を建てることのリスクを考えれば、やすやすと引き受けられないのは当然のことだ。

重苦しい空気が流れる中、秀長が口を開いた…

首を縦に振らない小六に、口八丁の秀吉も万策が尽きてしまう。重苦しい雰囲気が流れるなかで、おもむろに口を開いたのが、秀長だった。

「私ごとき者が申すのもおこがましい次第ですが、この度、兄上が墨俣での築城を引き受けた以上、もちろん、成功しなかったときは一命もないものと覚悟の上です」

このプロジェクトに命運がかかっていることを強調しながら、秀長は斎藤氏の居城である稲葉山城を何度か攻撃してきたことについて、小六らの尽力があったからこそとして、こう感謝を述べている。

「先年、稲葉山攻めの折りには舎兄のみがご褒賞をいただき面目をほどこしたが、我ら兄弟がさしたる働きをした訳ではなく、これらは諸兄の活躍のお陰であった。この度の大役を成功させるために、ぜひとも御両所の御助けをお願い申す」

稲葉山城については、織田信秀・信長の親子二代にわたって城攻めに手を焼かされ、難攻不落の城として当時知られていた。ようやく信長が陥落させたのち、「岐阜城」と改名されることになる。

そんな大事な戦いだけに貢献度を強調されれば、悪い気はしないだろう。そんな気持ちがこもる秀長の言葉に、小六の心は動かされたようだ。短くこう答えたという。

「……墨俣のことお引き受け申す」

小六の協力を取り付けたことで、秀吉たちは短期間に墨俣城を築くことに成功。これ以後、小六は秀吉家臣団のなかで活躍する。

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