また、諸大名との面会も、秀長の大切な仕事だった。天正14(1586)には、豊後国を本拠としたキリシタン大名として知られる大友宗麟と、秀長は大坂で面会している。
このとき、大友氏は、隣国の島津氏と争っており、援軍を頼みにきていた。秀長はそんな宗麟の手をとると、次のように言ったという(『大友家文書録』)。
「何事につけても私が同じ気持ちでいますので、どうかご安心なさってください。内々のことについては宗易(千利休)が、表立った公的なことについては私が気を配っております。あなたにとって悪いようなことは決して起こらないでしょう」
一人ひとりときっちり向き合う秀長の性格を思わせる言葉だ。宗麟もさぞ安心したことだろう。
広まった「墨俣一夜城」の逸話
秀長の言葉には、人の心を動かすものがあった――。後世の人々はそう考えたことが、『武功夜話』の逸話からも読み取れる。
『武功夜話』とは、愛知県の旧家・吉田家に伝わる家伝文書群『前野家文書』の一つ。もっともよく知られているのが「墨俣一夜城」の逸話だろう。秀長がまだ信長に仕えた頃のことだから、ちょうどドラマで今とりあげている時期にあたる。
永禄9(1566)年、信長は美濃を攻略するために、敵地の墨俣に城を築くことを家臣たちに命じたが、美濃を支配する斎藤方の武士に妨害されて、老臣2人が失敗。それを見た秀吉が「おそれながら」と名乗り出て、墨俣城の築城を引き受けることとなった。
秀吉は、斎藤方の攻撃から防御するチームと、築城するチームに分け、効率的な作業ルールを決めた。それを守らせたところ、たった一夜で城を築いてしまった……として語り草になっている。
この逸話は『甫庵太閤記』にて「信長の命で秀吉が築城した」という記述があり、その城が『絵本太閤記』では「黒俣城」として紹介されている。



















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