今川軍は"低体温症"に陥っていた? 桶狭間の戦いで織田信長が今川義元に勝利できた3つの理由

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合戦
(写真:Josiah / PIXTA)
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、天下人・豊臣秀吉の弟である豊臣秀長を中心に、戦国時代のど真ん中で天下統一を果たした兄弟の軌跡にスポットライトがあてられています。今回は桶狭間の戦いで織田信長が今川義元に勝利できたワケを解説します。
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今川軍4万5000に対し、信長は5騎で出陣

永禄3年(1560)5月19日、織田信長方の丸根砦・鷲津砦(愛知県名古屋市緑区)に対し、今川方の軍勢が攻撃を仕掛けてきます。

信長は居城の清洲城に籠城せず、城から打って出て、4万5000の軍勢を率いる今川義元と雌雄を決する決断をするのです。

清州から熱田までの3里を一気に駆ける信長ですが、当初、率いていたのは小姓衆5騎でした(『信長公記』)。午前8時頃に熱田に到着した時には雑兵が200人ほどになっていましたが、今川方に勝利できるような数ではありません。

信長らは満潮で通行がかなわない道を避けながら、熱田から織田方の丹下砦(名古屋市緑区)に向かいます。その後、信長は織田の将・佐久間信盛が籠る善照寺砦(名古屋市緑区)に移動。ここで信長は軍勢を揃えて、戦況を観察することにします。

一方、今川義元は4万5000の大軍を率い、桶狭間山(愛知県豊明市)で人馬を休息させていました。丸根・鷲津砦を攻め落とした今川方の戦果を聞いた義元は「大いに満足だ」と言い、謡いを三番も謡ったとのこと。

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