都交審15号答申の翌年(1973年)に東京都がまとめた「東京港臨海部鉄道計画調査報告書」の路線図でも、東京13号線の検討ルートを一部確認できる。品川駅から東に進んで品川ふ頭に入り、大井貨物ターミナル(東京貨物ターミナル)駅のある大井ふ頭の西側を南下。そのまま羽田方面に伸びていくルートが一点鎖線で描かれている。
仮に東京13号線の羽田延伸が実現していれば、JR東日本が羽田空港アクセス線の構想を打ち出すことはなかっただろう。また、東京貨物ターミナル駅の西側にある八潮パークタウンには、副都心線の駅が設けられていたに違いない。
都交審15号答申の策定により、品川駅に乗り入れる地下鉄の構想が動き出したかのように思われたが、1973年には石油ショックが起こり、日本の経済成長は鈍化した。地価の上昇などで鉄道の建設費も高騰。国や自治体は財政難に悩まされるようになり、おいそれと新線を建設できない状態に陥っていく。都交審15号答申以前の基本計画に盛り込まれていた路線の建設は遅れに遅れ、東京13号線は工事にすら着手できない状態が続いた。
羽田延伸を阻んだ新たな展開
こうしたなか、東京13号線ルート周辺の鉄道路線でも、新たな動きが出始めた。山手線では、並行して設置されている貨物線(山手貨物線)の旅客線化計画が浮上。埼京線と山手貨物線を接続し、埼玉方面から池袋、新宿、渋谷を経て大崎方面に向かう通勤電車が運行されることになった。
一方、品川~羽田空港間では、京急線の空港ターミナルビルへの延伸が計画された。京急は品川~横浜方面を結ぶ本線のほか、途中の京急蒲田駅から分岐して羽田空港方面に向かう空港線も運営していたが、終点の旧・羽田空港駅は空港から離れた場所にあり、実質的には空港アクセス鉄道として機能していなかった。しかし、羽田空港の拡張事業が動き出したのに合わせ、京急も新しいターミナルビルまで空港線を延伸することにしたのである。
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