その体験を支えていた1つが、80年代のモチーフです。それは、物語と感情を記憶に結びつける役割を果たしていました。劇中で流れた音楽を思い出すだけで、当時の空気がよみがえる人も多いでしょう。
ケイト・ブッシュの『Running Up That Hill』が再び世界的に聴かれたことは象徴的ですが、それは単なる懐古ではありません。物語の緊張や登場人物の感情と結びついたことで、音楽そのものが視聴体験の一部になったのです。最終章でプリンスの楽曲が使われた場面も同様でした。
さらに言えば、母親役を演じたウィノナ・ライダーの存在も、この作品の時間感覚を支えていました。80年代から映画に出演してきた彼女が物語の中心にいることで、当時を知る視聴者にとっては、物語と自身の記憶が自然と重なりやすくなります。この作品ならではの仕掛けだったと言えるでしょう。
つまり、こうした時代を代表するアイコンが、過去の引用としてではなく、“いま”の感情と重なった瞬間、この物語は個人の記憶と結びついていったのです。
だから『ストレンジャー・シングス』は、見終わった後も「面白かった」で終わらず、ある時期の自分の時間と結びついた記憶として残ったのではないでしょうか。当時を知らない若い世代にとっても、それは新しい体験として成立していました。
元旦に配信された最終話
では、なぜ『ストレンジャー・シングス』は、そこまで深く人の時間に入り込むことができたのでしょうか。
1つの答えは、この作品が「いつ見るか」を強く意識させるシリーズだった点にあります。世界同時配信という形で公開され、作品ファンにとっては、配信直後に見るかどうかが、その後の会話に加われるかを左右しました。
ネタバレを避けるために急いで見る人もいれば、見終えるまで話題から距離を取る人もいる。配信作品でありながら、視聴のタイミングが自然と揃っていく感覚があり、「放送文化」に近い体験が生まれていたのです。



















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