ミャンマーに今も残る数カ所の日本人墓地の実態、80歳迎えても現地に残り守り続ける日本人、世代を継いで墓守をするミャンマー人家族

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池谷氏は、99年に当時の橋本龍太郎首相が「イエウェイ日本人墓地」を訪れた際に、この慰霊碑に関する興味深い話を聞いたそうです。

1999年に当時の橋本龍太郎首相が訪れたビルマ平和記念碑(写真:筆者撮影)

「この古い慰霊碑の経緯をご存じだった佐藤栄作首相(67年当時)がビルマを訪問した際、仏教徒の多くは輪廻転生の考え方が根付いており、“墓石”という概念が日本とは異なるということもあり、当時のネ・ウィン大統領から『この慰霊碑の撤去を検討している』と伝えられたそうです。その言葉を聞いた佐藤首相は、ネ・ウィン大統領の目の前で涙を流されたといいます。一国の総理大臣が涙する姿を見たネ・ウィン大統領は深く心を動かされ、かつて自らが日本軍の支援を受けた『30人の志士』の一人であったことも思い起こし、慰霊碑の撤去を思いとどまったようです」

姓なき「からゆきさん」の墓石も

「30人の志士」とは、41年から42年にかけて存在した日本軍の特務機関「南機関」によって軍事訓練を受けた、ビルマの青年30名を指します。彼らの中には「ビルマ建国の父」であるアウンサン将軍をはじめ、後にビルマ独立運動の礎を築いた重要な人物たちが含まれています。

「タムエ日本人墓地」は、ヤンゴン市街地の北東に約6キロメートルの住宅地・タムエ地区に所在していました。現在は道路を挟んだ向かい側にスーパーマーケット「Super One Shopping Centre Tamwe」があります。敷地面積は約1エーカー(約4000平方メートル)で、明治・大正・昭和期に当地に住んでいた日本人居留民の墓地でした。100年以上の歴史を持つ墓石もあったとされています。

池谷氏が「タムエ日本人墓地」を訪問したときは、墓石74基のうち38基が女性のものだったそうです。享年20歳前後の墓石が多く、出身地は九州に集中しており、氏名のうち姓のみが外されて名のみが記載されているようで、いわゆる「からゆきさん」の墓であると推定されています。

この理由は、からゆきさんにとって、もし姓名を記載すると自分の出身地が分かってしまう恐れがあり、「名」のみにしたと思われるからのようです。

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