ミャンマーに今も残る数カ所の日本人墓地の実態、80歳迎えても現地に残り守り続ける日本人、世代を継いで墓守をするミャンマー人家族

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そこで、当時2カ所のヤンゴン日本人墓地の維持管理を担っていたヤンゴン日本人会は、日本政府からの補助金とともに、ビルマ戦線に従軍し生き残った方々および遺族からの浄財、また、ビルマ戦友会や日本遺族会からの寄付、さらに当時の日本人会の会員らからの募金を加えました。

チャンドー日本人墓地から移設された墓石群(写真:筆者撮影)

資金の総額は3000万円を超え、それにより、敷地には約1メートルの土盛りが施され、地下には排水設備が整備されました。そして、「タムエ日本人墓地」と「チャンドー日本人墓地」から墓碑・墓石が移設され、98年に現在の「イエウェイ日本人墓地」が完成しました。

日本政府が81年に建立したビルマ平和記念碑

イエウェイ日本人墓地の一番奥の小高い区域には、日本政府、日本遺族会、戦友会などによって建立された複数の慰霊碑が並んでいます。中央には、さきの大戦においてビルマ方面で戦没した人々をしのび、平和への思いをこめ、そして、日本ビルマ両国民の友好の象徴として、日本国政府によって81年に建立された「ビルマ平和記念碑」があります。

この記念碑の正面に向かって左手には、終戦からわずか2年後の47年5月に、ビルマ方面に従軍した生存者によって建立された古い慰霊碑が、「チャンドー墓地」から移設されています。

1947年にビルマ方面に従軍した生存者が建立した慰霊碑(写真:筆者撮影)

この慰霊碑は、太平洋戦争敗戦後にビルマ進駐のイギリス軍によって「アーロン収容所」に抑留され、過酷な強制労働を強いられた旧日本軍兵士たちによるものです。彼らは、亡くなった仲間たちの冥福を祈るために、強制労働の最中、道路建設などで使われていたセメントを密かに集めて建てたと伝えられています。

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