古代から問題は続いている。ローマ帝国によってバラバラになったユダヤ民族が2000年をかけてイスラエルを建国するまで何が起こったか

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とにかく重要なのは、「ヘブライ」という単語には、ユダヤ人の民族的な根幹に関する自負心が込められているということだ。また、「イスラエル」は、アブラハムの孫であるヤコブの別名である。

『旧約』によると、ヤコブはヤボク川の渡し場で天使と夜通し格闘した末に「神と戦って勝つ」「神が主管される」という意味の「イスラエル」という新しい名前を授けられた。

この単語にも祖先と民族の根っこに対するユダヤ人の所属意識が反映されている。

ユダヤ地域はさまざまな国に占領された

最後の「ユダヤ」もしくは「ユダ」は、ヤコブの12人の息子の4男であるユダの名前から来たものだ。12人の息子はのちに12部族の起源になる。その中でユダはユダ族の祖先になる人物だ。

この血統はダビデとソロモンへと引き継がれてユダ王国の基盤になった。

ユダヤ人は自分たちを血統的に、もしくは精神的にユダ王国の子孫だと考えている。そして『新約』では、イエス・キリストの血統的な根っこをユダ王国の王権から探している。

ローマ帝国の植民地には、地中海の東端に位置するユダヤ地域が含まれている。

この地域は古代からさまざまな帝国に占領されてきた場所で、長い間、ユダヤ民族が暮らしていた。

『旧約』によると、紀元前1030年にサウルがこの地域を統一してイスラエル王国を建て、2代目の王ダビデが、エルサレムを首都として王国を治めた。

ダビデの息子ソロモンは都市を整備し、外交を通じて国内外を安定させ、イスラエルに全盛期をもたらした。

ところがソロモンが死ぬと、国は2つに分かれた。ソロモンの息子レハブアムは、12の支族の中からユダとベニヤミンを従えてユダ王国の王になった。ユダ王国はユダヤ人の根幹になった。

ソロモンの臣下だったものの、のちに反乱を起こしたヤロブアムは、後の10の支族を集めてイスラエル王国を建国したのだけど、紀元前8世紀に入るとアッシリアの攻撃によって先に滅亡した。この過程でイスラエル人はアッシリア人と混ざり合い、のちにサマリア人と呼ばれるようになった。ユダヤ人は混血だという理由でサマリア人を冷遇した。

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