【マイクロソフト誕生前夜】20歳のビル・ゲイツ「大学か、未来か」運命を決めた夜の決断
「マイクロソフトがうまくいかなかったら大学へ戻る」母と父にはそう約束した。
アルバカーキへ戻ると、持ち分は64対36の割合にしてほしいとポールに話した。ポールは反発する。話し合い、やがてポールが折れた。いまとなっては強引に要求を突きつけたことを申し訳なく思うが、当時はマイクロソフトに求められるそれぞれの貢献を正確に反映した数字だと思っていた。
2月はじめに契約を結び、それを正式な取り決めにした(それから3年少し経ったころ、ビジネススクールを辞めてマイクロソフトへ加わるようスティーブ・バルマーを説得する際に、その追加の取り分があらためて俎上にのぼる。僕はその4パーセントを彼の契約にインセンティブとして含めたのだ。スティーブは1980年に入社し、必要としていた24時間体制のパートナーになった)。
会社の所有権をめぐる緊張があり、ひっきりなしに口論もしていたが、それでもポールとのあいだには強い絆があった。すでに途方もない道のりをともにしてきて、いまはこれまでにないものをつくろうとしている。そこでもかなり楽しい時間を過ごしている。
ポールとの友情を維持するための方法
友情を維持する方法もひとつ編み出していた。同居しないことだ。僕がボストンにいるあいだに、ポールはポータルズのアパートメントを出て寝室が3つある郊外の家を借り、リックとマーク・マクドナルドと住むようになった。
アルバカーキへ戻ると、僕は別のアパートメントへ引っ越してクリス・ラーソンと暮らした。クリスはシアトルとアルバカーキを行き来し、毎年夏には僕らのもとで働いていた。いまはレイクサイドの最終学年を迎え、両親を説得してマイクロソフトへ加わることにして、僕がTRWの仕事のためにしたように1学期間休学した。



















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