【マイクロソフト誕生前夜】20歳のビル・ゲイツ「大学か、未来か」運命を決めた夜の決断
その夜、フッド運河沿いを歩きながら心に決めた。もし大学を離れてマイクロソフトでフルタイムで働くことにするのなら、会社の持ち分をさらに増やしてほしいとポールに言おう。
期末試験のリーディング期間に合わせて1月にハーバードへ戻ったあと、ふたつの決断についてよく考えた。スティーブ・バルマーと僕は、ECON2010の講義をさぼる計画を忠実に遂行した。リーディング期間を使って互いに教え合い、ほぼノンストップで勉強して1学期分の知識を頭に詰め込んだ。1ページの期末試験に合格し、僕らは得意満面だった。
大学を離れ、会社経営にフルタイムで専念する
1月15日に僕はハーバードに宛ててこんな手紙を書いた。
「友人と私はマイクロソフトという会社を共同経営し、マイクロプロセッサ用ソフトウェアに関するコンサルティングをおこなっています。新たに引き受けた業務のため、マイクロソフトにフルタイムで専念することを求められています」。秋学期に復学し、1978年6月に卒業する予定だと記している。
母と父は、大学にとどまれと言っても無駄だとわかっていた。僕は独立心が強すぎた。それでも母はときどき遠回しに僕を説得しようとした。その年か前の年には、シアトルの有名ビジネスマン、サム・ストラウムに僕を会わせた。大規模な電器店チェーンを築き、その後は地域の大手自動車部品チェーンを買収して成長させた人だ。非営利の分野でもとても積極的に活動していたシアトル社会の中心人物である。
母はユナイテッド・ウェイでの仕事を通じて彼と知り合っていた。ランチをともにしながら、僕はマイクロソフトについて説明した。可能なかぎりすべてのマイクロプロセッサ用のソフトウェアをつくろうと思っているんです。この市場は成長するでしょうし、それとともに僕らの会社も大きくなるはずです。
このランチに母が何を期待していたにせよ、その目的が達成されたとは思えない。サムはハーバードにとどまれとは言わず、僕がやっていることを聞いて胸を躍らせた。彼の熱心な反応を見て、母の不安は多少なりとも軽くなったかもしれないが、完全に解消されたわけではない(何年もあとになって、あのランチで小切手を書いて投資しておけばよかったとサムはよく冗談を言った)。



















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