【マイクロソフト誕生前夜】20歳のビル・ゲイツ「大学か、未来か」運命を決めた夜の決断

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PCソフトウェアのトップメーカーをつくるというビジョンのもと、ポールと僕は完全に足並みをそろえていた。この目標こそ、川の向こう岸にかすかに見えるご褒美のようなものだ。

だが1976年の終わりには、向こう岸まで最速で最高の橋をかけ、いちばんにそこへたどり着きたいという気持ちは、明らかにポールよりも僕のほうが強かった。

マイクロソフトへの責任感が、決断を促した

潜水艦の水密ハッチのように、僕は世界を締め出すことができた。マイクロソフトへの責任感に駆りたてられ、僕はハッチのドアを閉めてハンドルをロックした。恋人はいないし趣味もない。社交生活はポール、リック、仕事仲間を中心にまわっていた。

これも先頭に立ちつづけるためだ。ほかのみんなにも同じような献身を求めていた。とてつもなく大きなチャンスが目の前にある。週80時間働いてでも、それを追いかければいいじゃないか。たしかにくたびれはするけれど、わくわくする経験でもあるんだから。

自信があって何事も自分で解決したがる性格であるにもかかわらず、僕はポールからは得られない別の種類の手助けが必要だと感じるようになっていた。

ポールはひときわ重要な意味でのパートナーだ。会社のビジョンを共有し、テクノロジーの問題やソフトウェア制作の人材採用といった点ではうまくいっしょにやれていた。だが会社の土台が盤石でなければ、こうしたことはどれも意味をなさない。

マイクロソフトの経営をつづけるのは孤独な仕事だった。1日24時間、いつでも相談できるビジネスパートナーが必要だ。

大きな決断についてともに検討して議論する仲間。支払いが見込める顧客と見込めない顧客のリストを見て、預金残高への影響を考えられる人。その種の仕事を毎週ひとりで大量に抱え込むのは大きな負担だった。築きつつある会社の持ち分をさらに大きくしてもらうことで、この負担に報いられるべきだと感じていた。

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