イタリアと日本のカーデザインの絆を作り上げた宮川秀之氏の訃報が届いた。享年88であった。
彼は1968年にジョルジェット・ジウジアーロ、アルド・マントヴァーニらとともに、新生カロッツェリア「イタルデザイン」の発起人となり、イタリアンカーデザインの日本への導入に深く寄与し、日本のほぼすべての自動車メーカーとビジネスを行った。
氏のポジションを説明するのは、そう容易ではない。イタルデザイン設立前は、ヌッチオ・ベルトーネやギア、デ・トマソなど、多くのブランドと関わり、その後はスズキ・イタリアの代理店としてバイク界においても活躍。
ワイナリーのオーナーや映画製作まで行ったのだから、彼の生涯を説明しようとすれば、一冊、いや数冊の本を書かねばならぬほどの“冒険者”だからだ。
特に自動車のスタイリング開発の現場は、コンフィデンシャル(機密)な事項にあふれているため、この界隈では世界的に有名な彼も、一般的にはイタリア文化を語る風流人と捉えられているかもしれない。
宮川氏が語ってくれたイタルデザインの原案
「1967年のある日、私の運転で、ジョルジェットとマリーザ(宮川氏の細君)を乗せて第二京浜を走っていた時のことだった。『117クーペ』の仕上がりなど、プロダクツとしては満足の行く仕上がりを実現していたけれど、私たちは『これでいいのか?』という将来への不安に苛まれていたんだ」
かつて、宮川氏は私に語ってくれたことがある。
「そこでジョルジェットが、口火を切った。“旧態依然としたカロッツェリアに将来はない。新しい技術から効率的な生産工程までを提案できる、新しい組織を作らなければならないんじゃないか?” と。こんなふうに私たちは第二京浜の渋滞の中で、イタルデザインの原案を描いたんだ」
そして彼らは、旧態依然としたカロッツェリアとは似て非なる組織づくりを目指して、イタルデザインを設立した。



















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