トリノにメーカーを新たに設立し、50台限定生産をうたったのだが、バブル崩壊とともに日本のスポンサー企業は破綻。資金は枯渇してしまった。
多くの破綻したプロジェクトは夜逃げ状態であったが、宮川氏は違った。自らの資産を売り払って、サプライヤーへの支払いを続行し、なんと10数台のデリバリーを完結させたのである。
「思い出したくないし、あまりのプレッシャーに記憶がなくなってしまった部分もある」と語った宮川氏であったが、苦い思い出となったことは間違いない。
筆者のメンターである宮川氏の冥福を祈る
宮川氏が人生の最後に取り組んだのが、ワイナリービジネスだ。トスカーナのハイブランドを多く産出するボルゲリ地区に隣接したスヴェレートに「Bulichella:ブリケッラ」というワイナリーをスタートさせた。
緻密に計画を進め、おいしいワインを作ることはもちろん、彼が培ってきたマーケティング手法の集大成をそこに投入した。
実績あるエノロゴ(醸造責任者)を招き、地元のワイナリー協会の会長にも就任。海外マーケットで引きになるBIO(有機)認証も取得して、ブリケッラ・ブランドの価値向上に大張り切りだった。
「ワインビジネスは何世代もかかって、その成果が生まれるものなんだ。だから、僕が種まきをして、それを未来の宮川ファミリーが育てていく。そんなロマンがあるでしょう」と語った宮川氏は、のちに娘や孫たちが人気を博したワイナリーを引き継いでいる姿を見て大いに喜んでいた。
ちょうどこの原稿を書いている時、イタリアのブリケッラでは宮川氏の葬儀が行われていると、ジョルジェットの息子であるファブリツィオからメッセージがあった。
筆者はこれまで、宮川氏から要所要所で的確な助言をいただいてきた。
「冒険心を忘れずに」「フットワーク軽く、いつも物事の行われる中心へ足を運べ」と、私は宮川氏というメンターのコトバの実践に心がけている。
「ジャーナリストとして発信をしながら、日本とイタリアの懸け橋になる」という私の仕事のテーマは、レベルはまったく違うが、宮川氏と筆者がともに歩んできた道でもある。
宮川氏の偉業はこれからも、多くの人々に勇気を与えてくれるであろう。氏の冥福を祈りたい。
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