"怪物"江川卓が与えた衝撃度と余波「誰しも認めた類稀なる才能」は、いかに他人の人生までも狂わせたか

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サインのなかでも本盗は一番リスクが高い。失敗したときの全責任は監督にある。

結局、三本間に挟まれランナーの有田はアウト。江川を相手に三塁にランナーに進めること自体、最大にして最高のチャンスということを北陽はわかっていなかった。

一か八かの本盗に賭けるよりも、他に手立てがなかったのか。それとも江川の調子を見て本盗しかなかったのか。

とにもかくにもこの絶好のシーンをありえないサインでむざむざと潰した時点で北陽の勝ちはなくなったといっていい。とにかく五回一死のレフトフライまで、本盗失敗を除いたアウトはすべて三振だった。打線の要である四番の藤田は4打数4三振の大ブレーキで「とてもじゃないが打てない」と首をうな垂れるしかなかった。

※写真はイメージです(筆者撮影)

圧巻の4安打完封の19奪三振

終わってみれば2対0、4安打、19奪三振。圧巻の完封劇。それまでの選抜甲子園大会の1試合最多三振記録は、ちょうど10年前の63年第35回大会PL学園の戸田善紀(元阪急)が沖縄県代表首里高校からの21奪三振。だが、首里と北陽とではレベルの差が歴然。江川の北陽相手の19奪三振は、燦然と輝く記録であるのは確かである。

試合後のインタビューでは、江川は表情を変えずにたんたんと答えた。

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「カーブが決まらぬため北陽打線の打者に粘られて疲れました。有田君に打たれた三塁打は、外角球にバットを合わせたようだった。後半しつこく食い下がられると少々きついですね。自分のピッチングとしてはあまりよいデキではなかったが、味方が早い回に得点してくれたので安心して投げられました」(下野新聞 昭和48年3月28日付)

終始仏頂面で話し、唯一「北陽の試合で一番いいデキのイニング(九回)でした」のコメントのみ笑みをためていた。

19奪三振をとってあまりよくないデキ!? ふざけているのかと思われるが、実際、前年秋の関東大会のコンディションに戻っておらず、この選抜甲子園は本調子ではなかった。

それでも強打北陽打線を相手に19三振。だから怪物なのだ。

伝説は奇跡の集合体だ。普段は体感したことが事実として無為に過ぎ去っていくのが、稀に体感したことが奇跡に感じられることがある。それが伝説の原型となる。一度でも江川と対戦した者は体験自体がもはや奇跡の出来事と捉えている。

甲子園の鮮烈なデビュー戦が終わり、“沢村二世”、“スーパー投手”、“右の江夏”、“パーフェクトボーイ”……いろいろな形容詞が江川に付けられた。

江川卓というキャラクターが、自分の意思とは別に勝手にひとり歩きし始めた。

松永 多佳倫 ノンフィクション作家

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まつなが たかりん / Takarin Matsunaga

1968年11月29日、岐阜県大垣市生まれ。琉球大学卒業。琉球大学大学院人文社会科学研究科中退。出版社を経て2009年8月よりフリーランスとなり沖縄移住。ノンフィクション作家として沖縄の社会学を研究中。主な著書として、『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『偏差値70からの甲子園-僕たちは野球も学業も頂点を目指す-』(集英社文庫)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α新書)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(KADOKAWA)、『永遠の一球-甲子園優勝投手のその後-』(河出書房新社)、『92歳、広岡達朗の正体』(扶桑社)など。

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