「心のうねりはあったけど、照之の人生」 90歳の浜木綿子さんが語る…シングルマザーとして育てた《息子・香川照之》の驚く決断を受け入れたワケ

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2011年9月27日、三代猿之助が二代目猿翁、四代段四郎の長男・二代市川亀治郎が四代目猿之助、そして照之が九代目中車、照之の長男政明が五代目團子を襲名することが都内のホテルでの記者会見で発表された。 

段四郎、亀治郎、政明と壇上に並んでの会見で照之は「猿之助の名は140年続いてきました。長男の政明が誕生して7年。長男がいるのに、その船に僕が乗らないでいいのかと思うようになりました。映像では香川照之を、父の残した世界を継ぐ使命を帯びた時は中車を名乗ります」と語り、質疑応答では「母は最終的には受け入れてくれ、最大限のエールを送ってくれています。香川照之の名を残して欲しいと母に言われました。母に感謝しています」と浜への思いを披露した。

二代目猿翁を襲名する猿之助は最後に登場し、「浜さんと一緒になって照之が生まれました。浜さん、ありがとう。恩讐の彼方にありがとう」と浜への謝辞を述べた。

市川團子 香川照之
照之さんと、その長男である政明さん(五代目市川團子)。孫がまだ幼かった頃の1枚(写真:浜木綿子さん提供)

「心のうねりはあったけど、照之の人生」

浜が当時を振り返ってくれた。

「心のうねりはありましたけれども、照之の人生です。役者の仕事も順調にあったし、本当に恵まれていたのになぜ、と考えたら、やはり父親への愛のためでしょうか。自分で抑え込んでいたのだと思います。幼いころから感情を表に出さずに我慢する子でした。あまり泣きもしない強い性格でした」

その勇気には感じるところがあった。

「46歳で歌舞伎界に入った方なんていらっしゃらないでしょう。わが子ながら感服して、私も肝を据えなくてはと思いました。『この船に乗らざるを得ない』と言うのなら、そよ風ほどにしかなりませんが、船を後押ししたいという気持ちになりました」

それからは照之を囲む会には顔を出すようにし、自分が楽屋で使っていた鏡台を提供し、知人の舞踊家から歌舞伎衣裳についての話も聞いた。 

東京での「襲名披露」は2012年6、7月に新橋演舞場で催された。

6月の夜の部と7月の昼の部には三代猿之助が創始したスーパー歌舞伎の第一作「ヤマトタケル」(梅原猛作、奈河彰輔監修、猿翁脚本・演出)が上演され、中車はヤマトタケルの父である帝、團子はヤマトタケルの子、ワカタケルを演じると発表された。

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