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「親ガチャに外れた」と嘆く若者が、転生小説『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』に惹かれる本当の理由

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つまり、最初からガチャに当たって「努力すれば成功できるスペック」に生まれてきていれば、努力して人生は成功させられる。だが、そもそも「努力すれば成功できるスペック」に生まれてきていなかったら、格差が広がる日本では決して報われない。本気を出せるスペックと、出せないスペックがある。どちらに生まれてくるかは、ガチャ──生まれたときの運でしかない。

ならば報われるためには、スペックを変更させなければいけない。

「頑張ったら報われる」場所を求めて

『考察する若者たち』(PHP研究所)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

そのような思想が若者のあいだで広がっている日本において、『あの花』は、戦時中という転生先を選んだ。百合は、戦争という数多の人びとが犠牲になる環境を経験し、自分たちの生きる世界を「そもそも命を脅かされない平和な場所」という「努力できるスペック」に変化させた。読者も百合に感情移入するうちに、自分のスペックが変わって見えるだろう。

そして『転スラ』もまた、物語の主軸は国家運営とそれにともなうバトル(戦争)にある。戦争のなかで、チームプレイがうまくいく意味や、戦争で国家同士が戦う意味が描かれている。

できる限り武力ではなく話し合いによって共存共栄することをめざす物語は、平和な現実の貴重さを読者に伝える。それはある意味、現実のスペックを──「時代ガチャ」勝者として──書き換える物語である。

大塚(英志)は、まんが・アニメ的リアリズムの課題は、「キャラクターに血を流させることの意味を小説がいかに回復できるのか」にあると述べていた。それを引き継いで言えば、ゲーム的リアリズムの課題は、「キャラクターに血を流させることを通じて、プレイヤーにいかに血を流させるか」にあると言えるかもしれない。
(東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』、カッコ内は筆者加筆)

この東浩紀の言葉を引くと、転生もの──つまりガチャ的リアリズムの課題は、「異世界で血が流れることを通じて、プレイヤーに血を流させなくて済むことの意味を回復する」ことにある。

異世界で血が流れることで、現世はいかに努力できるほどに平和な世界か、照射する。それがもし転生のリアリズムの一つの意味なのだとすると、いま物語に求められているのは、「頑張ったら報われる」という努力できる場所を求める希望そのものだろう。

努力したくないのではなく、報われる努力をしたい。その気持ちが、現実は努力できる場所であることを教えてくれる「転生」ものを若者に手に取らせているのかもしれない。

それは反転して、報われる努力をできる場所に社会がなっていない、ということの証である。

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