高市内閣"ハネムーン中"に総選挙はありえるのか? 自民党を悩ます「若者支持率9割」の熱狂と「根強い不信」の深い溝

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

前述のJNNの調査では、自民党の政党支持率は28.9%で、石破政権下での前回より1.0ポイントしか上昇していない。10月25〜26日に行われた毎日新聞による調査では同7ポイント増の26%、同期間に行われたANN(オールニッポン・ニュースネットワーク)の調査でも同4.2ポイント上昇の37.4%。24〜26日に行われた日本経済新聞の調査でも同5ポイント増の36%だった。

参政党や国民民主党の支持率は低下しており、「自民党への回帰」が一定程度あったものの、「サナエブーム」の効果はさほど大きくはなかったといえる。

このことを示す端的な事例が、10月26日に投開票された宮城県知事選挙だ。最終的に現職の村井嘉浩知事が6選を決めたが、34万0190票しか取れず、32万4375票を獲得した和田政宗前参院議員に1万5815票差まで迫られた。

「杜の都」の接戦は何を示唆するのか

選挙戦序盤で村井知事に迫ろうとしていたのは、元宮城県議の遊佐美由紀氏だった。遊佐氏は8期目の任期途中で県議を辞め、立憲民主党の支援を得て無所属で立候補した。

宮城県は県内5つの衆院小選挙区のうち、4議席を立憲民主党が占める「立憲王国」だ。加えて、故・岡崎トミ子元参院議員や郡和子仙台市長にように、マスコミ出身の女性の活躍が目立つ地域でもある。

そういう意味で「元NHK仙台放送局リポーター」の肩書を持つ遊佐氏は、有利な戦いを展開できたはずだった。ところが、ある出来事をきっかけに、村井知事の対抗馬の座は遊佐氏から和田氏に移った。

NHKアナウンサーだった和田氏は、13年の参院選にみんなの党から宮城県選挙区(当時は定数2)に出馬し、22万0207票を獲得して当選。17年に自民党に入党し、同選挙区が16年から定数1となったことから、愛知治郎氏と選挙区を調整した結果、19年の参院選では比例区に転じて28万8080票を得て再選した。

その後、和田氏は今年7月の参院選で比例区に出馬したものの、6万4665票しか獲得できず落選。9月に「宮城県政の真の発展を願う青年経済人の会」「宮城の子どもを守る会」から要請を受けて宮城県知事選への出馬を決意。当初は泡沫候補も同然とみられていた。

和田政宗とローレンス綾子
宮城県知事選で接戦を演じた和田政宗氏(左)と知事選への出馬を見送ったローレンス綾子氏(写真:時事)

そんな和田氏が勢いづいたきっかけは、参政党が当初県知事選での擁立を予定していた県連副会長のローレンス綾子氏ではなく、和田氏を応援すると決めたことだった。

参政党と和田氏は「県の水道民営化の見直し・再公営化の促進」や「移民政策の反対」「土葬の不許可」「大規模メガソーラーや風力発電計画の抑制・停止」などを盛り込んだ政策覚書を締結。参政党の神谷宗幣代表は20年間の村井県政を「グローバリズム」と批判し、7月の参院選での躍進のきっかけとなった「日本人ファースト」を強調した。さらに、当初は2回を予定していた宮城入りを、選挙戦の最終日を含み4回まで増やした。

次ページ「杜の都」の接戦を演出した“もう1つの構図”
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事