アリストテレスは「エートス」について、さらに3つに分類しています。①Phronesis(実践的知恵)、②Arete(徳・価値観・大義)、③Eunoia(善意)です。
実践的知恵は、まさにその見識や経験のこと。②の「徳」ですが、これは、道義的に正しいことをするということではなく、いかに聴衆の価値観を代表・共有・支持するかである、という解釈があります。
こちらの記事(連載3回目)で触れた、民衆の心情を代弁する「共感力」ということになるでしょう。
この解釈によると「徳のある人」とは「何かもっと大きなもののために戦う人」。「日本の国益」という大きな理想のために戦う高市氏という枠組みにぴったりはまります。
そして、最後の「善意」ですが、ここでのポイントは、「無私無欲」「自己犠牲」という点です。既得権益や私利私欲をむさぼるのではなく、むしろ、「何なら自ら人柱になってもいい」という自己犠牲精神を指すとも考えられています。
「身を切る改革」をうたう日本維新の会
こうしたレトリックは実は日本維新の会の議員もよく使っています。彼らは「身を切る改革」をうたいますが、まさに「この身を投げ打って、既得権に切り込む」を信条としています。
吉村洋文代表は講演などで、こう話をします。
自らの身を切る「自己犠牲性」を前面に押し出しています。
トランプ米大統領も同様に、「私は十分金持ちで、これ以上儲ける必要はない。国民のために身を削っている」と主張し、既得権益にしがみつく「職業政治家」ではないことを売りにしてきました。
彼自身やその親族たちが巨利を得ていることはすっかり棚に上げ、「利他性」を厚顔無恥にアピールするのです。
狙撃され、かろうじて一命をとりとめるなど、命の危険を冒してまでも、現役を続ける姿は、アンチにとっては「権力に固執するだけ」に見えますが、支持者の目には、まるでその身を国民に捧げる「殉教者」のように見えているのかもしれません。



















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