中国は1978年に改革開放路線に転換し、80年代になってからは、積極的に外資の導入を進めた。この当時は、社会主義経済のなごりがあり、熾烈な競争はなかった。そのため、進出した外国メーカーは十分な利益を確保することができた。
とりわけ、85年に第一汽車、上海汽車と合弁企業を設立したフォルクスワーゲン(VW)の成功は目覚ましかった。他のメーカーが不案内な中国市場で苦戦するのを尻目に、それまでの事業活動のノウハウを活かして、大きく先行した。2002年における販売台数のシェアは、上海VWが23・8%、第一VWが16・4%であり、合計で4割を超えていた。他のメーカーのシェアは1ケタだったから、圧倒的に強かったわけだ。政府からの庇護を受けたことも大きかった。たとえばタクシーなどの業務用乗用車の生産は、VWに対してのみ許可された独占事業だった。
巨大さがもたらす「量のイルージョン」
しかし、こうした状況は永続きしなかった。GMが99年に上海汽車との合弁会社を設立し、生産・販売を開始した。そして、生産・販売台数でVWを抜いた。
さらに00年頃以降は、状況が大きく変わった。前回見たように、新興の民族系メーカーが登場したからだ。外資の参入は政府がコントロールできても、国内民族系メーカーの参入は、コントロールできない。このような状況では寡占的な地位を維持できない。われわれは、「外資規制があるために、中国の自動車産業は規制産業である」という錯覚に陥っている(これは、われわれが、中国企業の実力を無意識のうちに過小評価しているためである。この点は後で述べる)。しかし、中国で生じていることは、まったく異なるのだ。