秋葉原が「中国の街」に!? 「広告を気鋭の中国企業が席巻」「売れまくる中国スマホゲーム」オタク聖地を呑み込むチャイナ・カルチャーの衝撃

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同社広報は「弊社としても、日本経済新聞から取材を受けることは、大きなチャンスであることは間違いないとは考えているものの、影響力が大きく、中国企業として、皆様にどう受け止められるかが分からず、取材をお受けすることができない状況です。ご希望に沿う回答とならず、誠に申し訳ございません」とコメントした。

「お客さんも私も歳を取ったの」89歳店主の決断

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こうして変わりゆく秋葉原の街――。それでも今なお、駅のガード下には、プラグや電線、端子などの電子部品を販売する小さな店が、わずかにだが残っている。真新しいビルに囲まれながらも、昭和の香りを残すのは「秋葉原ラジオセンター」だ。その1階、1畳ほどのスペースで、ラジオやトランジスタなどの技術系雑誌や書籍を扱う店を経営するのが、万世書房の霜鳥和子さん(89)。どんな思いで今、秋葉原の街を見つめているのだろうか。

――こちらの店は、何年続いているのでしょうか。

「ラジオセンターができたのが昭和20年代で、私の父はその年から店を始めたから、今年でもう74年になりますね。父が途中で病気になり、私が2代目となって働き始めてから数えても、もう50年は過ぎています」

――こちらの店は、電気関連の雑誌や専門書が多いですね。

「昔は、ラジオやトランジスタなどの専門雑誌がもっといっぱいあったんです。新しい雑誌が発売されると、早く見たいというお客さんが多くいらして、本当にたくさん売れました。ただ、次第に私も歳を取るし、お客さんも歳を取るので、だんだんお客さんも来なくなり、本は売れなくなりました。本もインターネットとかで買っちゃった方が楽だしね」

――本以外にも、昔はここでしか買えない部品を買いに来る人が多かったと聞きます。

「以前は、特殊な工具とかネジとかを置いていた店も多かったけど、今では部品屋さんもほぼなくなりました。昔は製品自体が高かったから、ここで部品を買って自分で作っていた人もいたけど、今は製品自体も安いので、自分で作るメリットがあまりなくなりましたよね。今は、アニメのお人形さん(フィギュア)とかを置く店も増えてきて、『ラジオセンター』の名前を付けているビルの意味もなくなりましたよ」

――長年、この街を見てきた霜鳥さんには、今の秋葉原の風景はどう映っていますか。

「昔は女の人は全然来ない街だったけど、今は電気街のイメージから全くかけ離れているアニメとかゲームとかが増えて、女の人が街に増えたように思います。昔は外国人もいなかったけど、今はいっぱい来ていますしね。でもうちは本屋だから、いくら外国人が増えても商売には関係ないんですよね」

――この先、店をどうしていくかとか、何か考えはお持ちですか。

「もう今年いっぱいで、店はやめようと思っています。本が売れていれば、誰かやろうと思うかもしれないけど、売れていないから継ぐ人もいない。家賃も高いし、本が売れないとやっていけないからね。私は秋が来たら90歳になる。こんな形で終わる人生は少し残念だけど、まあ仕方ないですね……」

日本経済新聞取材班 日本経済新聞社データ・調査報道センターの記者で構成する取材班

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にほんけいざいしんぶんしゅざいはん / Nihonkeizaishinbunsyuzaihan

中村裕、浅沼直樹、岩崎邦宏、綱嶋亨が取材・執筆を担当した。本書の基になったデータ・調査報道シリーズ「ニッポン華僑100万人時代」は、第2回国際文化会館ジャーナリズム大賞を受賞

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