「腹を斬った状態で、藩主のもとに…」朝ドラ『ばけばけ』小泉セツが尊敬する祖父の壮絶な切腹劇
周囲からも祖父について話を聞くことが多かったという。セツが綴った「オヂイ様のはなし」によると、友達の家に行けば、そこの老人からこう聞かされたという。
「私の子供の時にお友達の家へ行くとそこの老人からよく御祖父様の話を聞かされました」
セツにとって、母方の祖父・塩見増右衛門の話が聞けるのは、うれしい時間だったようだ。こうも書いている。
「あなたのお祖父様は忠義なえらい方で御座いました。私はそう聞くと自らがほめられた様にほこりを感じてなんとなく愉快でした。母方の御祖父さん塩見増右衛門様は役のついている家老で禄高は千何百石召使は三十人近く、屋敷は殿町二の丸のお堀の前でした」
忠義なえらい方――。塩見増右衛門については、幼いセツに具体的に聞かせるには、あまりに壮絶な逸話が残っている。
藩主の松平斉斎を諫めた塩見増右衛門の覚悟
塩見増右衛門は、9代目藩主の松平斉斎に仕えていた。
だが、この藩主がずいぶん問題が多い人物だったらしい。酒と女におぼれて、当時の松江藩が飢饉に大火事など災難続きだったにもかかわらず、どこ吹く風で放蕩の限りを尽くしながら、相撲や鷹狩りに夢中になったというから、庶民も呆れてモノも言えなかったことだろう。
品川の下屋敷に5階建ての家を建てて、望遠鏡などオランダ由来の物を集めては酒盛りをして、ぜいたくな毎日を送った。
それでもまだ藩に居てさえくれれば、優秀な側近で藩政を担うこともできるが、たびたび江戸に出かけては、帰ってこない日々が続く。
このままでは国が滅びてしまう――。みながそう口にするなか、増右衛門は家老職として、ついに立ち上がる。松江藩の上屋敷で藩主の松平斉斎と向き合って、藩主としてあるまじき行動を注意したのである。
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