「彼女が日本に戻ってしまってから寂しい気持ちになりました。だから、お正月にはLINEで『あけましておめでとうございます』と伝えます。お互いの誕生日はプレゼントを送り合ったりしていました」(ヨハネスさん)
日本では障害児保育の現場で責任者をしていた聖子さん。しかし、「人のために働いているけれど自分がない」という気持ちが募り、夜中に泣けてきて仕方ない日が続いた。そんな彼女を見かねて、同居していた母親が「あなたはここにいたらダメになる。オランダに行きなさい」と背中を押してくれたのだ。コロナ禍が始まる直前のことだった。
「伝手もなく移住しましたが、フランス人の奥さんがいる国際結婚夫婦には本当によくしてもらいました。住む部屋を提供してもらい、コロナが始まって誰とも会えない時期も庭での食事に誘ってくれて……。外国人だからこその悩みや不安をわかってくれたのだと思います」
その後、聖子さんは住み込みで働ける職場を見つけて経済的に自立。コロナ禍も下火になり、ヨハネスさんとも気軽に会えるようになった。
「この人と一緒にいれば私は大丈夫」と根拠なく思った
聖子さんの誕生日は2月。ヨハネスさんは美術館デートに誘ってくれたが、聖子さんは大幅に遅刻してしまう。それでもヨハネスさんはまったく怒らず、「閉館までの1時間でも観よう」と言ってくれたうえ、食事をご馳走してプレゼントも用意していた。
「お礼として私の口から出た言葉が愛の告白みたいだったようで、彼はすぐにプロポーズしてくれました。ちょっと驚きましたが、私はこの人といると安全と安心を感じます。日本で闘病の末に亡くなった親友が『やっぱり人間って、愛されることが幸せなんだよ』と言っていたこともフワッと浮かび、納得して結婚しました」
ヨハネスさんは、13歳年上の外国人女性と結婚することに抵抗はなかったのだろうか。聞くと、「それは全然気にならない」と彼は即答した。
「気になるのは、雰囲気が合っていること。彼女と話すと、冷静で落ち着いたオーラを感じます」(ヨハネスさん)
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