ミスタードーナツは、株式会社ダスキンが1971年にスタートした事業だ。ダスキンは、1964年に汚れが落ちやすい「化学ぞうきん」で一斉を風靡し、1970年からアメリカ『サービスマスター社』と事業提携。掃除のプロの育成・派遣をはじめた企業だ。そう聞くと、「どうしてドーナツ?」と思われるかもしれない。
実は、このサービスマスター社との提携のためアメリカに渡った創業者 鈴木清一氏が、ミスタードーナツ・オブ・アメリカ社のハリー・ウィノカー氏と出会い、本場のドーナツと笑顔あふれるショップに感動。帰国後に提携を決意したそうだ。
鈴木氏はミスタードーナツ創業の際に、
「一人でも多くのお客様に食べてもらおう」
「一人でも多くの人々に喜んでもらおう」
「多くの人々に新しいビジネスの機会を提供して、ともに成長するチャンスをつくろう」
という、「3つの願い」を込めたという。
1号店は1971年、大阪の阪急箕面駅から徒歩5分ほどの場所にオープンした。当時、阪急箕面線沿線は市街地化が進んでおり、箕面市の記録には1976~79年、箕面駅前でも再開発事業が施行された記録が残っている。
とはいえ、まだ田んぼも多いのどかなエリアだった。そのなかでミスタードーナツがある場所は、地元の人が多く往来し、気軽に立ち寄れるロケーションだった。

鈴木氏は、当初から全国展開を見越しており、「経営が成り立つか、成り立たないか」の検証を綿密にして出店したという。
一方、同じ時代、日本に海外産業を輸入した他社は、銀座など一等地に店を構えていたそうだ。しかし往々にして、都市部は集客力があって当たり前。郊外に出しても集客できる強さを身に付けていったからこそ、ミスタードーナツは全国1041店(2025年3月期)の巨大ブランドに進化できたのだろう。そのうち直営店は数店舗のみ。9割以上がFC加盟店だ。
「創業から55年が経ち、ダスキンを支える1つの事業となっています。『3つの願い』の1つ、加盟店の成長にも貢献できていると自負しています」
みんなで「悩み考える」企業文化
ミスタードーナツは商品開発において、課題解決のための「仕組み化」をあえてしない。「みんなで集まり、一つ一つの課題を悩み考えて決める」企業文化があるそうだ。理由は、開発を含むすべての費用は、「FC加盟店から預かった大切なお金」だからだ。
「『失敗が許されない』という気持ちは、いつも心に刻んで業務に当たっています」
だからこそ、仕組みで流すことはしない。いちいち、立ち止まって考えるのだ。
加盟店を大切にする姿勢は、ミスタードーナツの人材育成の仕組みにも現れている。新卒社員は入社後必ず店で3~5年経験を積んで、店主を経験。店舗オペレーションやマネジメントを完全に理解してから本部へ移動する。
専門職でのキャリア採用も行っており、他社で経験を積んだ人材の登用も進めている。それでも、8割が店舗で働いた経験を持ち、加盟店の気持ちを理解できるメンバーで占められている。
また、ドーナツを揚げる技術も、「仕組み化」ではなく「技術の伝承」に重きが置かれている。加盟店は製造の技術や知識を得るため、本部研修でライセンスを取得する。理念やドーナツのつくり方を基礎から学ぶとともに、全国から集まった仲間とディスカッションを繰り返し、店舗運営のノウハウを身に付ける内容だ。加えて数年に一度はライセンス更新のため、改めて本部研修を受けることが義務付けられている。
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