陰謀論も同様で、SNSで陰謀論が流れてきたら、その陰謀論が楽しそうなら、それに乗るし、イケてない陰謀論なら無視するだけのことだ。儲かりそうなバブルに乗り、自分が楽しめそうな陰謀論に乗るのだ。
目を覚まさせるためには、ファンダメンタルズという現実を突きつけるしかないわけだが、それでは興ざめであり、「水を差すな」、と怒られる。わかっている人たちも、「踊らにゃソンソン」という人々の集団に加わらなければならないのだ。「音楽が鳴っているうちは、踊り続けなければならない」。アメリカのシティグループ・最高経営責任者(CEO)だったチャック・プリンス氏が、サブプライムバブルの真っ最中の2007年夏に述べたとおりだ。
今や「陰謀論とファンタジーが同化」
さて、陰謀論とはファンタジーである、という私の仮説は、調べてみると、これまでもさまざま指摘されてきたことのようだ。しかし、多くの場合は、陰謀論とファンタジーはどこが違うのか、その相違点に議論が集中している。
例えば、陰謀論の信奉者は、それを真実と主張するが、ファンタジーの読者は虚構として楽しむ。陰謀論では、既存の事実や合意された見解を否定し、別の説明を提示するが、ファンタジーは、現実世界とは切り離された、独自の架空世界を構築する。そして、陰謀論においては、反証不可能なように設計され、反対の証拠があっても無視される傾向があるが、ファンタジーにおいては、証拠の有無は問われず、物語の論理や世界観が重要視される、といった具合である。
さらに、社会への影響として、ファンタジーが人々に「回復」や「慰め」をもたらすのに対し、陰謀論は現実認識を歪め、社会に深刻な影響を及ぼす点が決定的な違いである、と指摘されている。
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