だから、政治の世界と無縁な人々ほど、政治の世界の陰謀論を楽しむ。「ザイム真理教」を信じる人々は、財務省の中に入ったことはないし、友人に財務省の人はいないのだ。この世に本当に財務省というものが存在するか、財務省の人々がいるか、それでさえ怪しい。それを確かめようがない人々、確かめたくもない人々が、ザイム真理教を楽しんでいるのだ。
彼らの一部は「財務省解体デモ」を財務省の前で行うが、財務省職員と話し合おうとはしない。罵声を浴びせるのがせいぜいで、コミュニケーションはしないのだ。また、ザイム真理教の「教祖」とは、私もかつていろんなところで話す機会があったが、もちろん、われわれは、財務省に関する神話あるいは陰謀論について議論することはなかった。なぜなら、コミュニケーションをしてしまえば、彼らのザイム真理教というファンタジーは溶けてなくなってしまうからだ。
ファクトは無関係、真の問題は「社会からの疎外感」
したがって、陰謀論に対するファクトチェックというものは、まったく効果がないというか、無関係なのだ。ファクトは無関係であり、真の問題は、社会からの疎外感なのだ。何をしても自分の人生も自分も変わらないという認識なのだ。自分と世界は無関係であり、世界で起きていること、これから起きることは、二次元の世界で起きることなのだ、という認識を変えることが、陰謀論の跋扈およびそれにより不幸になる人々と社会への唯一の解決策なのだ。
こう考えてくると、これは世の中のいたるところに常にある。本連載の読者ならお気づきのように、バブルがその一例だ。「この企業の株価はこれで正しいのか、ファンダメンタルズはどのくらいか」、などと考えた瞬間にバブルは溶けてなくなってしまう。そもそもファクト、ファンダメンタルズを考えてはいけないし、考えることは無意味なのだ。目の前にバブルがある、だから、それに参加する。それだけなのだ。
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