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歴史上最大の陰謀論が人類を自滅させることに気づかないわれわれ、 2025年の陰謀論の「本当の怖さ」はどこにあるのか

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  • 小幡 績 慶応義塾大学大学院教授
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陰謀論をエンジョイしている人々は、あえて意図的に陰謀論をファンタジーと捉えなおしてから楽しんでいるのだ。「それじゃあ、やっぱり確信犯じゃないか、陰謀論は嘘とわかって楽しんでいるのではないか」、と言われるが、それが根本的に間違っている。正確に言えば、無意識的に、しかし自らの意思で、つまり、自ら無意識の選択として、陰謀論をファンタジーに置き換えているのだ。

陰謀論に「事実」という概念を持ち込むこと自体ナンセンス

いくら言っても伝わらないかもしれないが、ここにおいて、通常言われる「事実」はどうでもよいのだ。厳密には、どうでもよいのではなく、「事実」かどうか、「事実」とは何か、ということを考えては「いけない」ということだ。それがファンタジーのルールである。

『となりのトトロ』で、猫バスがこの世に実際に存在するかどうか、議論をふっかける人はいないだろう。あるいは、『魔女の宅急便』で、魔女がこの世に存在するか、改めて議論を挑む人はいないだろう。いれば、それは野暮であるどころか、どうかしている、と相手にされなくなる。

それと同じことだ。陰謀論が正しいかどうか、事実は何か、などの点に関して議論すること、考えること、そもそも、陰謀論の世界に「事実」という概念を持ち込むこと自体がナンセンスなのだ。

つまり、彼らにとっては、「情報」とは、事実とは無関係に、「自分が選んだ、好きな曲、好きなストーリー」にすぎないのだ。この背景には、この世は自分とは無関係な世界であり、自分がこの世をどのように捉えようと、この世は変わらないという認識がある。

この世がどのようになっているかについて、自分が間違っていようが、この世に関するどのようなストーリーを仮定しようが、その仮定のストーリーを自分勝手に楽しもうが、自分の実際の生活には影響もないのだ。

いわば、現実の「この世」は、彼らにとっては、二次元と同じことであり、自分は、その外側にいるのだ。実際には、豆粒、砂粒であろうとも、その中に存在するにもかかわらず。しかも、現実の「この世」で風が吹けば、豆や砂は飛ばされてしまうにもかかわらず、「自分の周りでは風は吹かない」と高をくくっているのだ。

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