
ディズニーランドのトゥーンタウンのプレスレビューのようす(写真:1996年4月11日、尾形文繁撮影)
東洋経済新報社の写真部に保管されていた昭和の街角写真をピックアップしながら、そこに写し出されている風景から時代の深層を読み取っていく連載「東京アナログ時代」。
第17回となる今回は、東京を名に冠した千葉の名所「東京ディズニーリゾート」の懐かしい写真を紹介する。
*掲載写真はオリエンタルランド社の許可を得て撮影したものです。
*本記事は後編です(前編:『「三菱がディズニーランドを富士山麓に誘致」も…構想20年超"浦安にディズニーランドを"実現したオリエンタルランドの執念』)。
*本記事は後編です(前編:『「三菱がディズニーランドを富士山麓に誘致」も…構想20年超"浦安にディズニーランドを"実現したオリエンタルランドの執念』)。
当初は「コケる」という見方もあったが
1983年に“夢と魔法の王国”というキャッチフレーズで開園した東京ディズニーランド。当時の日本は昭和後期のバブル経済前夜という時期にあった。
結果的に大成功を収めた事業とされているが、その建設や開業準備には巨額な費用がかかり、当初はアメリカ式の遊園地が日本で成功するはずがない、客が殺到するのも最初のうちだけだろうという見方もあった。
しかし開業4年目には決算は黒字に転じ、6年目には第2パーク(後の東京ディズニーシー)の拡張を発表。開園8年後の1991年5月には、来園者が1億人を突破するという、アメリカのディズニーランド以上の集客力を発揮するまでになっていった。

東京ディズニーランドの入場者1億人突破を祝うようす(写真:1991年5月29日、高橋孫一郎撮影)
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