「論破は三流のやること」Z世代を巧みに動かす一流の上司が、言葉を使わない決定的な理由
つまりこれは、感覚的に自分のことを論理的だと認識している、ということだ。これは非常に矛盾した言い分である。次のような表現ならどうか?
「AとBを比べたら、Aを選んだほうがいい。なぜならAのほうがBに比べて20%ほど成功確率が高いからだ。過去のデータで証明されている」
これなら、論理的に表現されていると言えよう。しかし、
「私が論理的か、感覚的か、と聞かれたら、どちらかというと論理的だと思う。過去を振り返ってみると、なんとなく、そう思うからだ」
こんな表現をされたら、まったく説得力がない。つまり、多くの人は「自分は論理的でありたい」という願望や感覚を、論理的であることの証明だと無意識に思い込んでいるのだ。
これはZ世代に限った話ではない。冒頭の彼も、純粋な論理的思考というより「正しさで相手に勝ちたい」「頭がいいと思われたい」という感情に動かされていたのかもしれない。相手を言い負かして関係を損なうことは、組織の目的達成において何のメリットもない。その意味で、「論破」は極めて非論理的な行為なのである。
論破合戦が「Lose-Lose」になる理由
冒頭の会議の続きを紹介しよう。
あの一件以来、課長は新入社員を敵視するようになった。彼の主張の穴を探し、データで反撃しようと躍起になる。新人もまた、さらに緻密な理論武装で応戦する。こうして始まった「論破合戦」は、まさに泥沼だった。
「Win-Win」という言葉がある。その対義語は「Lose-Lose」だ。論破しようとする部下を、さらに論破しようとすると、まさにこの「Lose-Lose」の関係になっていくのだ。
なぜか? 理由は3つある。


















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