自動車産業が米国で大きく発展した深い理由とは 経営者が意識しておくべき「与件」を読み解く

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モデルT 青 自動車 クラシック
個別の会社の力が及ばない「与件」と経営者はどう向き合うべきでしょうか(写真:adifferentbrian /PIXTA)
経営者として、わざわざ負ける土俵を選んで、そこで勝負をかけたいと思う人はいないだろう。個別の会社にはどうにもできない、圏外の力を見極めるのも、経営者の仕事となる。
個社の力が及ばない「圏外の力」は、産業の盛衰をどのように左右するのか。
これまでの経営戦略論が避けてきた「未来予測」にあえて挑戦し、産業の未来を描こうとする書籍『通史で読み解く自動車の未来』から抜粋、編集してお届けする。

街道ネットワークの有無で差がつく

前回の記事では、自動車産業の、供給サイドの基礎条件(鉄道、電気、石油)における欧米間格差を指摘しました。

自動車産業には、需要サイドの基礎条件にも同様の格差がありました

自動車の市場を立ち上げるプロセスは、米国のほうが欧州に比べて格段に容易だったと考えられるのです。ここでは、それについて述べていきます。

通史で読み解く自動車の未来: 大局を見渡し、戦略を導く
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たとえば英国勢のスタートは、ロールスロイス(Rolls-Royce)が1904年、オースティン(Austin)が1905年、モーリス(Morris)が1912年、ベントレー(Bentley)が1919年です。

一方米国では、1893年のシカゴ万博でダイムラー(Daimler)車1台を間近に見た起業家たちが直ちに挑戦を開始しました。

名乗りを上げたのは、デュリア(Duryea)兄弟が1895年、ランサム・エリ・オールズ(Ransom Eli Olds)が1897年、パッカード(Packard)兄弟が1898年、ヘンリー・フォード(Henry Ford)が1899年でした。

米国に比べて英国の後れが目立つのは、需要サイドの相違が投影されています

欧州は、とくに西方でローマ帝国が建設したインフラストラクチャーを継承しています。その最たるものが、「すべての道はローマに通ず」と言われる街道のネットワークです。

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