自動車産業が米国で大きく発展した深い理由とは 経営者が意識しておくべき「与件」を読み解く

街道ネットワークの有無で差がつく
前回の記事では、自動車産業の、供給サイドの基礎条件(鉄道、電気、石油)における欧米間格差を指摘しました。
自動車産業には、需要サイドの基礎条件にも同様の格差がありました。
自動車の市場を立ち上げるプロセスは、米国のほうが欧州に比べて格段に容易だったと考えられるのです。ここでは、それについて述べていきます。
たとえば英国勢のスタートは、ロールスロイス(Rolls-Royce)が1904年、オースティン(Austin)が1905年、モーリス(Morris)が1912年、ベントレー(Bentley)が1919年です。
一方米国では、1893年のシカゴ万博でダイムラー(Daimler)車1台を間近に見た起業家たちが直ちに挑戦を開始しました。
名乗りを上げたのは、デュリア(Duryea)兄弟が1895年、ランサム・エリ・オールズ(Ransom Eli Olds)が1897年、パッカード(Packard)兄弟が1898年、ヘンリー・フォード(Henry Ford)が1899年でした。
米国に比べて英国の後れが目立つのは、需要サイドの相違が投影されています。
欧州は、とくに西方でローマ帝国が建設したインフラストラクチャーを継承しています。その最たるものが、「すべての道はローマに通ず」と言われる街道のネットワークです。
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