「家中が排泄物まみれ」に唖然…R-1王者・三浦マイルド(47)、認知症の母との日常を追ったドキュメンタリーを観て感じた歯がゆさ
何度かコンビを結成するもうまくいかない。奇しくも、ちょうどそんな時期に『R-1』の開催(2002年)が発表され、同大会の予選会場でピン芸人としての初舞台を踏んだ。YouTubeチャンネル『R-1グランプリ』の動画「【おいでやす小田×三浦マイルド 泥酔ガチトーク】こぼれ話その①」の中で、三浦は当時の心境をこう語っている。
「NSCで3回コンビ組んでダメで。で、卒業した後も1回、人の紹介で知り合った人ともう1回漫才やってみたんだけど、それもうまいこといかなくて『あ、もうひとりでやろう』って。そこで腹括って。何が何でもこの世界で生きていきたかったから」
ライブを立ち上げ、「マイルド軍団」を結成
吉本興業の芸人は、劇場の階層ステージを勝ち上がるシステムの中でしのぎを削る。三浦が駆け出し時代の登竜門は「baseよしもと」。女子高生が大半の会場でネタを披露し、観客投票のラインキングで上位に食い込まなくては生き残ることができない。
トップに上り詰めるのは、シュッとした容姿と実力を兼ね備える芸人たち。三浦自身も苦戦したが、そんなエリート集団からこぼれ落ちる面白い後輩たちもたくさんいた。これを受け、三浦は2000年代中盤からインディーズライブをスタートさせる。
仲間を集めて「マイルド軍団」を結成したものの、なかなかブレークする芸人は現れない。そんな中、兄弟漫才師のミキを見てすぐにライブに誘った。漫才がうまくかわいげがあったため、「絶対売れる」と思ったからだ。
すでにピンで一目置かれていた粗品がせいやを連れてきた折にも、周りは首を傾げていたが「漫才ができたほうが仕事の幅が広がる」と霜降り明星としての活動を後押しした。
そのほか、ヒューマン中村、金属バット、ミルクボーイ、ななまがり、ビスケットブラザーズ、マユリカなど後の賞レースを沸かせるメンバーたち、別の事務所やフリーで活動する芸人も三浦を慕った。
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