体罰=暴力が場合によっては容認される文化の影響下では、それが選手間においても当然のようにコミュニケーションの手段となるのだ。そして、恐るべきことであるが、その場合、一般社会の視点は嘘のように消え失せるのである。
一般社会より軍隊に近い環境だ
これはよく考えれば日本の歴史において軍隊が培ってきた文化に近い。歴史学者の大濱徹也は、かつての日本の軍隊について、「自己を中心とする絶対的世界をきずいていた」と論じている。「そこでは、一般の世俗社会における価値観や通念が通用するはずもなく、軍がきずいた階級序列下の価値が何よりも重視された」と(以下、『天皇の軍隊』講談社学術文庫)。
一般社会では、暴行や傷害事件となり得ることも、一歩兵営をくぐれば指導という名の下に一切が容認された。大濱は、日露戦争後に入隊した初年兵の回想を踏まえて、軍隊内ではありとあらゆるリンチが横行していたと指摘し、日清戦争から第2次世界大戦にかけて私的制裁が下士官の当然の権利とされていく過程があったと述べている。以下に初年兵の回想を引用する。
このような理不尽極まりない暴力は決して過去の遺物などではない。次に示す2つの文章を読んでみてほしい。
「高校時代は(指導者に)強く殴られて鼻の骨が折れた部員もいました。他の高校との練習試合では選手がコーチから殴られ、引きずられ、熱いコーヒーをかけられているのを目にしました。そのように威圧的な指導はどの高校でも目にする機会は多かったです」
「毎日誰かしら殴られてたし、試合中とかも……。本当にどれだけ殴られたかってくらい殴られた。私がキャプテンだったのもある。……髪の毛引っ張られたり、蹴られたりもした。……(顔)が殴られすぎて青くなって。……血が出たことも」
いずれも国際的人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチが取りまとめた報告書に記載されていたインタビュー調査の証言である。1つ目は、1990年代後半に千葉県の高校でバスケ部に所属していた元プロバスケットボール選手の男性、2つ目は、2000年代半ばから後半にかけて愛知県の高校でキャプテンをしていた元プロバスケットボール選手の女性だ(以上、「数えきれないほど叩かれて」日本のスポーツにおける子どもの虐待/2020年 07月 20日/HRW)。
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