ニュース、SNS…気がつけば簡単に陥っている「勧善懲悪のワナ」。古代から受け継がれる「教養ある人の思考」の身につけ方
ひと言で言えば、「国内経済の逼迫などで鬱屈している民衆は、“誰か”や“何か”を仮想敵として示されると扇動されやすい」。
こう捉えてみると、本書に示されているとおりヒトラーだけが悪魔だったわけでもなく、ナチスドイツが突然変異的に生まれて暴走したわけでもありません。再現性のある構造として今後も台頭しうることが想像できます。
こうした構造的な理解があれば、極右的なナショナリズムや扇情的なポピュリズムの芽をいち早く察知し、一市民として、国が危ない方向へとドライブされてしまうのを避けるような行動をとることもできるでしょう。
これが本当の意味での「歴史に学ぶ」だと思います。構造理解とは、つまり、個別具体的な物事を俯瞰して抽象化することで、単なる歴史理解にとどまらず、「今、自分たちが生きている世界」の現在と未来を本質的に考える視座を得るということなのです。
深くなくていい、「薄く広い知識」こそ重要
構造理解には、薄くてもいいから幅広い知識が必要です。幸いなことに、現代に生きる私たちが抱えている課題のなかには、何千年も昔に先人たちがさんざん考え、結論らしきものを出してくれているものも少なくありません。
ほんの一例を挙げると、『全人類の教養大全1』にも書かれているとおり、古代ギリシャの哲学者たちは「民主制は衆愚政治を生みやすい」と早くも喝破し警戒していました。
彼らが危惧した衆愚政治の構造は、ほぼそのまま現代にも当てはめることができるでしょう。それは、たとえば「主権在民を守りつつ衆愚政治に陥らないようにするにはどうしたらいいのか」などを考える出発点になるはずです。
よく「歴史はくり返す」と言われます。
先人たちが考えてきたこと、経験してきたことを「薄く、しかし限りなく広く理解する」ことで、現代の課題を考えるヒントが得られるでしょう。答えを求めて暗中模索する思考に、構造という一筋の光を当てる。
『全人類の教養大全』は、そんなふうに物事の深層に迫り、考えを深める座右の書にもなると思います。
(取材・構成/福島結実子)
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