ニュース、SNS…気がつけば簡単に陥っている「勧善懲悪のワナ」。古代から受け継がれる「教養ある人の思考」の身につけ方
人は、物事を「物語」のようにして理解するのが得意です。主人公がいて、敵対する人がいて、いろいろなことが起こって……というストーリーで追いかけるとわかりやすい。
自分が「ヒーロー」になって考えると結論が出やすいから「頭の省エネ」になる。
しかし、そうした「勧善懲悪のストーリー理解」は、一方的に誰かを悪と見なして結論を出す偏向のもとにもなります。
たいていのことは、はっきりと善悪には分けられません。世の中、自分たちの倫理観だけでは語れないことだらけです。複雑な物事を複雑なまま捉えて、答えを留保する。
いずれ結論を出さなくてはいけないとしても、そういう知的基礎体力をもって「学びつづけ、考えつづける胆力」が、この不確実性の高い時代を生きるには必要ではないでしょうか。
「歴史に学ぶ」とはどういうことか
もちろん、あらゆる立場に配慮した挙げ句、「難しいですね」「人によりますよね」で思考停止しては一向に結論が出ません。
しかし結論を急ぎすぎて、物事を単なるストーリーとしてシンプルにしすぎるほうが問題だと思います。
そこでカギとなるのが「構造理解」です。これは、ある物事をストーリーで理解するのではなく、ストーリーに内在している構造、成り立ちを理解することです。
たとえば、ナチスドイツによるホロコーストは人類に対する罪であり、絶対に許されるものではないでしょう。しかし、あのような極端な主義信条を持つ政党が国民の支持を集めたことを「構造」的に捉えてみると、極右的なナショナリズムや扇情的なポピュリズムが勃興する社会情勢というものが見えてきます。
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