娘が親子丼の準備をしているとき、部長が「手伝おうか」と声をかけると、娘は「いい。座ってて」と短く答えた。ただそれだけの言葉が、部長には何年ぶりかの温かい会話に聞こえ、胸が熱くなったという。
その夜、2人だけでいるときに、部長は娘に「就職おめでとう」と言った。娘はうなずくだけで、部屋に入っていった。しかし、寝る前に声をかけてきた。
「お母さんに報告したい」
次の週末、3人で墓参りに行く約束をした。ほんの短い会話だったが、10年ぶりの、父と娘の会話だった。
話すタイミングはとても重要だ。タイミングを間違えると、どんなに正しいことを言っても相手の心には届かない。部長は娘が悲しみに暮れている時期に、ビジネスで培ったテクニックで接してしまった。相手の心理状態を無視して、自分の都合、自分視点で話しかけていた。
娘にとって必要だったのは、父親の話し方のテクニックではなかった。
ただ側にいてくれること。同じ悲しみを共有すること。それだけだったのかもしれない。しかし部長は、問題を解決しようと焦るあまり、最悪のタイミングで最悪のアプローチをしてしまった。
この経験を通じて、部長は自身のマネジメントを省みた。思い返せば、娘と同じように心を閉ざし、会社を去っていった部下が何人かいた。知らぬ間にアンチ不燃人にさせてしまったメンバーがいたのである。話し方のテクニックに走ると、関係を悪化させることもある。
部長が得意とする論理的な説明やデータに基づいた指示は、多くの場面で有効だった。ほとんどの部下たちは、それでよかった。
しかし部長のテクニック重視のマネジメントに疲れ、次第に心を閉ざす部下もいたのだ。そして最後は「一身上の都合」という理由で去っていった。部長は今になって、あの部下たちも娘と同じだったのかもしれない、そう気づいたという。
「話し方」を捨てる勇気
話し方のテクニックは道具にすぎず、「機能的な役割」しかない。一方で「情緒的な役割」については著しく欠けている。なぜなら、情緒的な側面は、相手の性格や、心の状況によって常に変化するからだ。
大切なのは、相手視点で寄り添うことだ。相手の立場に立ち、適切なタイミングで、適切な距離感を保ちながら、自然な関係性を築くこと。部長が娘との関係性を通じ、10年かけて学んだのはこの「単純で難しい真実」だったのだ。
話し方改革の本質は、テクニックを「捨てる勇気」を持つことではないだろうか。
デジタル技術が進化し、現代はコミュニケーションの取り方がとても多様かつ便利になった。にもかかわらず、相変わらず人と人とのトラブルは絶えない。こんな時代だからこそ、人に寄り添う「話し方」が求められているのではないだろうか。
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