吉沢亮主演の映画「国宝」のヒットで気になる原作 「見てから、読んでから、もう一度見る」が理想?
映画がここまでヒットしたのだから、再びこの女優たちを集めて、スピンオフ映画「女たちの国宝」を作ってもらいたいと思う。こちらは女性監督がメガホンを取るのはどうだろう。
吉沢亮と横浜流星、2人の男優が素晴らしいことはあちこちで言われており、ここでは繰り返さない。
ただ、うるさ型の多い歌舞伎ファンがおおむね好意的だというのは快挙だと思う。誰もが六代目中村歌右衛門を想起する小野川万菊を演じた田中泯に至っては、大絶賛以外の感想が全く聞こえてこないくらいだ。
「読んでから見るか、見てから読むか」という角川春樹の名コピーに倣うならば、私は「見てから、読んでから、もう一度見る」ことをお勧めする。
ジェットコースターのだいご味を堪能したうえで、登場人物の深い心理をつかみ、もう一度映画を見ると、細部の感動が違ってくることだろう。
映画と原作は別物ではあるが、「国宝」の場合、別物として作られながら、相互作用をもたらしている。
「関西弁」という、うるさ型さえも
ちなみに私は原作小説が大好きで、李相日監督での映画化を望んできた。吉田と李のコンビは、「悪人」「怒り」とスケール感のある作品を成功に導いてきた実績があるからだ。
ただこの「国宝」の魅力は「~でございます」といった語り文体。映画に移し替えると、言葉が氾濫する恐れがあった。説明過多になるくらいならと、説明不足を選んでいる。勇気が要る決断だったろう。
人気原作の映画化で起こりがちなのは、読者の脳内にある人物と、演じる俳優とのイメージの乖離だ。
不思議なことに「国宝」では「誰々がミスキャストだ」という批判もあまり聞かない。私自身もイメージと違うと思った人物はいなかった。