吉沢亮主演の映画「国宝」のヒットで気になる原作 「見てから、読んでから、もう一度見る」が理想?

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ヤクザの家に生まれ、外から歌舞伎の世界に入った喜久雄(吉沢亮)と、大名跡たる花井半二郎の御曹司の俊介(横浜流星)。

2人の人気役者の10代から晩年までを描く物語だが、とにかく3時間あっても時間が足りない。それゆえに歳月をどんどん省略してゆく。1つのエピソードを結末まで見せることなく、ポーンと何年も先の話へと飛ばす。

その跳躍の仕方が映画のリズムを生んでいる。前のエピソードがどんな風になったのかは、次の時代でじわじわ明らかになる仕掛けだ。

3時間をまるでジェットコースターのように猛スピードで上り下りして退屈させないが、歳月の重みはしっかり残るように作られている。

「小説に勝ちに来ていると感じた」

映画は歳月だけでなく、喜久雄と俊介の周囲にいる人たちも大きく刈り込む。

喜久雄の幼なじみであり、命を張って喜久雄を守ろうとする徳次は、原作の中ではとりわけ人気の高いキャラクターだったが、冒頭に子役として出たきり消えてしまう。

脚本の奥寺佐渡子、監督の李相日コンビの大胆な決断は、吉田修一をして「小説に勝ちに来ていると感じた」と言わしめた。

ほかにも、チンピラから売れっ子芸人になる弁天や、喜久雄をいじめる女形の鶴若ら人間味あふれるキャラクターがカットされている。

そして何よりも女性たちである。喜久雄の恋人だった春江(高畑充希)や、喜久雄の子を産む藤駒(見上愛)、喜久雄に利用される彰子(森七菜)らは映画にも登場するが、原作ではもっとしっかり描き込まれている。

喜久雄と俊介に焦点を絞ったため、映画では、女性たちの言動が理解しにくいうらみが残った。

原作を読むと、彼女たちの心理が詳しく書かれており、映画を補完する役割を果たすことになる。せっかく芸達者な女優をそろえたのに見せ場が少なめで、ちょっともったいない。

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