《世界水泳2025》栁沢駿成(27)「仕事終わりに260円の市民プールへ…」大学卒業後に一度は水泳を諦めた営業マンが日本代表になったワケ

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世界水泳の日本代表になった栁沢さん
世界水泳の日本代表になった栁沢さん(写真:栁沢さん提供)
仕事が終わって帰宅したら疲れて何もできない──。そんな人がいる一方で、時間、体力、お金をやりくりしながら趣味に没頭するビジネスパーソンがいる。彼らはなぜ、その趣味にハマったのか。どんなに忙しくても、趣味を続けられる秘訣とは。連載 隣の勤め人の「すごい趣味」では、仕事のかたわら、趣味をとことん楽しむ人に話を聞き、その趣味の魅力を深掘りする。
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2025年の日本代表はフルタイムで働く営業マン

7月11日、シンガポールで世界水泳選手権(以下、世界水泳)が開幕した。

その男子50m平泳ぎに出場する栁沢駿成(やなぎさわ・としなり)さん(27)は、普段は企業で働く“営業マン”だ。

高校まで個人種目での全国大会出場経験はなく、アスリート採用による入社でもない。どのようにして趣味の水泳と仕事を両立し、世界水泳日本代表の切符をつかんだのか。

栁沢さんは東京都葛飾区出身。父はスイミングスクールのコーチ、母も体操などが得意という「スポーツ一家」に生まれ、3歳で自宅近くのスイミングスクールに連れて行かれて以来、水泳を続けてきた。

「一般コースから育成コース、選手コースへと進みましたが、結果は出ず、個人種目で全国大会に出場した経験もないんです」(栁沢さん。以下同)

高校卒業後は、「自分くらいのレベルでも水泳を続けられる大学に行こう」と考えて桐蔭横浜大学に進み、水泳部に入った。なぜ、大学でも水泳を続けようと思ったのだろうか。

「お世話になったコーチたちから『お前は続けたら伸びるよ』と言われていたんです。当時は体がめちゃくちゃ細かったから、というのもあるんですかね。その言葉を信じて大学までは続けてみようかな、と」

大学時代は4年連続でインカレ(日本学生選手権水泳競技大会)に出場できた。しかし、記録は振るわなかったという。

「当然のように予選敗退でしたし、最下位になったこともあります。平泳ぎだけでなく、バタフライやクロール、個人メドレーなどいろんな種目に手を出していましたね」

ただ、大学3年時の2018年11月に先輩のすすめで50m平泳ぎに挑戦し、初めて日本選手権標準記録を突破。翌年4月の日本選手権に初めて出場できた。

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