【小川町】埼玉で移住希望者が1番多いワケは? 都心まで70分、"ゆる移住"が叶う「ちょうどいい田舎」の秘密
古い蔵や町屋が残るノスタルジックな街並み。かつては商店や銀行が立ち並び、宿場町として栄えていました。時代の変化で流通の経路が変わると街の商業色は減り、商店も活気を失っていきました。
昭和50年代後半には、東武東上線の発展に合わせて東小川エリアに大規模な住宅分譲地が誕生。当時首都圏のあちこちで誕生していたベッドタウンです。40年経過した現在は、人口減少し過疎化していることが悩みだといいます。

ところが、ここ10年の間にじわりじわりと移住者が増えていっているというのです。
有機農業の先駆者が50年かけて街の印象を変えた
皆本さんのように、気軽に移住したい人にとって、小川町は都心と田舎が心地よい距離感です。しかし「小川町は距離感や田舎暮らしだけではない、いろいろな魅力があります」と話すのは移住サポートセンターの八田さと子(はった・さとこ)さんです。

実は八田さんもまた移住者の一人。2012年に「農」がきっかけで移住してきました。移住前は都内で暮らしていた八田さん。有機農業に関わる仕事をしていました。
「小川町は有機農業が盛んだということを周囲から耳にしていたため、自分の関心や仕事を深めたいという思いがあり移住しました。移住後にこの町で結婚し、家族が増えて地域コミュニティの一員として暮らしています」

町内の南東部に位置する下里エリアには「霜里農場」があり、この地で300年農業を続けてきた金子家の一員である故・金子美登さん・友子さんが1971年から有機農業を始めました。
当時はまだ有機農業に携わる人がおらず、地道に50年。お米や野菜をつくり、たくさんの研修生を育ててきました。現在の継ぎ手は宗郎(むねお)さん。 “もっと有機栽培を身近なものに”と「しもざと有機野菜塾」を始めました。宗郎さんと就農した元研修生を講師に、これまでに400名以上が受講をしています。