では、泳げない残りの者はどうしていたでしょう。かつて1980年代までの皆婚時代までは、ここに「お膳立ての小舟」がありました。小舟を漕いでくるのは、向こう岸にいた上司や近所のお節介おばさんなどです。その小舟に乗せてもらえば、泳げなくても向こう岸に渡れたわけです。
もちろん、中には「向こう岸に行きたくはない。舟に乗りたくない」と内心思っていても、有無を言わせず連れていかれてしまった場合もあるでしょう。深く考えず、「小舟が来たから乗ったら、気付いたら向こう岸にいた」という人もいたことと思います。しかし、多くがこの「お膳立ての小舟」があったことで大河を渡れたことは事実としてあります。1960年代までは伝統的なお見合い、90年代までは職場縁というものでした。
しかし、2000年代以降、その「お膳立ての小舟」は「セクハラ」という転覆のリスクを恐れて、誰もこぎ出すことをやめてしまいました。事実、かつてもっとも結婚のきっかけとして多かった職場結婚が激減することになります。
「溺れて下流に流される」恋愛弱者たち
さて、そうなると泳げない独身はどうすればいいでしょう。
泳ぐ能力のある者が大河に飛び込むのを見て、無謀にも自分も泳ごうとするかもしれません。ところが、泳げない者が水の中に入った末路はわかりきっています。溺れてしまうだけです。
泳げる恋愛強者が無事に大河を渡りきる横で、溺れて下流に流される恋愛弱者たちを目の当たりにすると、普通なら「なんでそんなリスクをおかしてまで向こう岸に行く必要があるんだ」と思うのが当然です。
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