「ダウンタウンDX」最終回はなぜ“炎上”したのか? 長寿番組の無念な幕引きが示す制作の限界

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最終回の内容に納得がいかない人が多かったというのは、それだけこの番組が長年にわたって多くの人に愛されてきた証しだ。親しみを持たれ、面白いと思われていたからこそ、最後に批判を浴びることになったのだ。

「ダウンタウンDX」は、ダウンタウンという芸人にとっても特別な番組だった。彼らはテレビの世界で成功して活躍するにつれて、良くも悪くも「笑いの権威」としてまつりあげられるようになってしまった。

特に松本は「M-1グランプリ」「キングオブコント」で審査員を務めたり、「人志松本のすべらない話」「IPPONグランプリ」「ドキュメンタル」などを仕切ったりすることで、ハードルが高い存在になっているところがあった。

残念だがやむをえなかった終わり方

そんな中で「ダウンタウンDX」は、ダウンタウンの2人が「ただのテレビタレント」としてその場にいられる貴重な番組だった。浜田が話を振って、ゲストの芸能人がトークをして、松本が最後にオチをつける。幅広い層に向けて明るくわかりやすい笑いを見せていた。

いわば、「ダウンタウンDX」とは「ダウンタウンの良心」だった。だからこそ長く続いていたし、多くの人に愛されていたのだ。そんな番組の終わりが、さまざまな事情でこういう形になってしまったこと自体は残念だ。

だが、テレビ番組にはいつか終わりが来る。それはどんな人気番組でも避けられない現実だ。すべての人が納得できる形ではなかったかもしれないが、これもまた1つの終わり方として受け入れるしかないのではないか。

ラリー遠田 作家・ライター、お笑い評論家

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らりーとおだ / Larry Tooda

主にお笑いに関する評論、執筆、インタビュー取材、コメント提供、講演、イベント企画・出演などを手がける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)など著書多数。

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