宗教2世の「きょうだい児」が死に物狂いに見出した"活路"。《カルト宗教、DV父、母の自殺未遂…》壮絶な日々でつかみ取った慶應大への進学
大学に行きたいと両親に伝えると、「東大早慶なら家を出ることを許してやる」と言われた。時代は90年代、インターネットのない時代だ。暮らしていた地域には大学受験のための塾もなく、高校受験同様に自力でやるしかなかった。

「血が吹き出るほど勉強しましたよ。田舎でも本屋はあるので、東大に合格するための本を読みあさりました。そうすると、どんな問題集をやるといいかが出てるじゃないですか、それを片っ端からやりました」
それでも、苦手の数学については学校の勉強と自習の組み合わせだけでは分からない部分があった。葵さんは学校で行われる補修を活用したり、学内で教えてくれる先生に声をかけて必死で勉強に取り組んだ。
そして、戦う相手と自分の差がどのくらいあるかを知るために、駿台模試など、偏差値上位層が受ける模試を積極的に受けるようにしていたという。しかし、模試の結果は東大の合格ラインには到底届かない数字だった。
「私の通っていた高校では、過去の卒業生の成績が3年分渡されていました。学内で何番くらいにいると、このあたりの学校に行けますよというだいたいの予測ができるようになっていたんです。
校内順位10番以内に入るとだいたい東大、早慶の上位学部に入れる感じだったので、それを目指してやるしかないなと。でも、自分の学校での成績がよくても、それは結果的にそうだったということでしかないので、大学受験と学内の成績がリンクしているとも思えませんでした」
学歴にコンプレックスのあった両親
高2の時に東大生がやっている通信教育があるのを知って受講した。この講座の受講生は首都圏の人が多かった。
「『どういう勉強してるの?』と、一緒に受けている人たちに聞いたりしてました。それから、1週間だけでいいから東京の予備校に行かせてくれと親に頼み込んで、季節講習をやっと受けることができました」
季節講習は10日間ほどだった。
「全然これだけで役に立つというもんでもなかったんですが、それでもまあ、東京の人はこんなふうに勉強しているのかというのは分かったので良かったです」
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