【合計342歳】79歳、83歳、89歳、91歳の四姉妹で守る《まるで実家のような》創業70年の喫茶店──“思いつき”で始めた店がみんなの居場所になるまで

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全国各地はもちろん海外からもお客さんが訪れる。ネットのおかげで新しいお客さんが来るようになり、テレビや雑誌に取り上げられることも増え、それを見たお客さんが来店する好循環が続いている。 

「閑古鳥が鳴いている日が多い」と紀久恵さんは言うが、取材日は互いに席を譲り合うほどお客さんが代わる代わる来店していた。 

思いつきの歴史 

母の谷岡なみ江さんを囲んだ思い出の写真(思いつき提供) 

思いつきの創業は昭和30(1955)年10月。今(2025年)から70年前にさかのぼる。

四姉妹の父である谷岡梶太さんはもともと、この場所で鉄工所を経営していた。四姉妹の母・なみ江さんは3人の子どもがいる梶太さんの後妻になり、11人の子どもを出産した。谷岡家は7男7女の14人兄弟と、大家族になる。 

ちなみに、現在思いつきを切り盛りする四姉妹の生まれ順はこうだ。満知子さんは三女、店長の朗子さんは四女、紀久恵さんは五女、晴江さんは七女である。 

大黒柱である梶太さんが病気で亡くなったとき、下の兄弟姉妹はまだ幼く、母のなみ江さんと当時20歳だった朗子さんは一家の生計を立てるために鉄工所の跡地で喫茶店を始めることに。 

「思いつき」で始めた喫茶店だから、屋号は「思いつき」。 

開店当時はコーヒーが1杯20円だった。 

高度経済成長の始まりとなった神武景気の時代で、周囲の鉄工所・造船所、下請けの町工場は大忙し。 

ひっきりなしに来客と出前注文が入ったおかげで喫茶店経営は軌道に乗り、兄弟姉妹たちの教育費に充てられた。 

配達中の朗子さん。右は神戸ドックの工場長(思いつき提供) 

とりわけ船の修理を専門とする神戸ドック工業とは関係が深く、同社からの出前注文だけで、一日に数十件にのぼることもあった。 

「店を閉めたあとも出前注文が止まらないほど忙しくて、嫁入りした私たちも手伝うようになったの」と紀久恵さんが振り返る。 

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