事実は映画よりも奇なり? 多くの日本人が知らない「新ローマ教皇」レオ14世(69)に託された先代からの"遺産"と"宿題"
初の南米出身の教皇だったフランシスコは、社会の不平等の是正に注力する南米生まれの「解放神学」の影響を受けた。ただ解放神学は、抑圧的な社会経済構造により排除され、権力者に支配されている人々を福音的な救済のメッセージにより解放する運動だったため、カトリックの左傾化を警戒する保守派から強く警戒された。
日本でも過去に、カトリック教会が反「君が代」、反天皇制、反自衛隊の「新左翼」運動と結びつき、教会の社会主義化に勢いをつけた経緯がある。反権力的運動を助長する左翼による階級闘争が盛んだった1970年代、南米カトリックは解放神学の強い影響下にあった。
アルゼンチンが軍事独裁政権によって支配されていた1976〜1983年当時、フランシスコはアルゼンチン管区長、司祭、神学校の神学科・哲学科院長を務めていた。貧者に寄り添い、独裁政権の圧政に苦しむ民衆を解放しようという解放神学が影響力を持った時代は、東西冷戦下の西側世界に共産主義の嵐が吹き荒れた時期とも重なる。
解放神学に心酔する活動家は、解放神学を信じるアルゼンチン出身の教皇が誕生したと期待を膨らませた。だが、フランシスコが教皇に選ばれた2013年当時のバチカンは、ポーランド出身の反共の闘士であるヨハネ・パウロ2世や、カトリック教義主義者であるベネディクト16世の影響が色濃く残っていた。バチカンに到着したフランシスコを待ち受けていたのは保守派の頑強な壁であり、解放神学を敵対視する勢力だった。
フランスのリール・カトリック大学で講師を務めるニコラ・テナイヨン氏は「フランシスコはキリスト教のいかなるイデオロギー化に対して、つねに抵抗してきた」と解説する。つまり、フランシスコは解放神学のイデオロギーから距離を置いていた。そのため、解放神学が抱える危険性とは無縁とみる聖職者も今では多い。
前教皇フランシスコが残した刷新のレガシー
在任中にフランシスコが進めたのは、バチカンの硬直化した統治機構の改革、この10年間で明るみに出た聖職者による性的虐待の再発防止、LGBTQ+への対応などだった。
フランシスコはカトリック刷新の具体的行動として「貧しい人の教会」を掲げ、教皇として初めてスラム街や移民キャンプを訪問。バチカンにホームレス用のシャワー、医療所、理髪サービスなどを設置した。
加えて、教会の富と権威主義に対する批判も含む教会の「謙虚さ」を強調。バチカン銀行の不正資金洗浄疑惑を受けて、会計の透明化を推進し、監査制度を導入した。このほか、同性愛カップルを市民として容認したり、離婚再婚者の聖体拝領問題に対して個別事情に配慮した柔軟な対応を認めた。
また、教会全体の刷新のための現状把握や意見の集約のため、世界規模で信徒・司祭・修道者が意見交換する「シノドス(共働・共に歩む教会会議)」を開催し、聖職者だけでなく、教会関係者全体からの意見を意思決定に反映させる革新的試みを実行した。
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